右・左はもういらない…ルソーとロックで理解する社会の本当の姿

哲学者が語る近代のしくみ
荒谷 大輔 プロフィール

「ロック/ルソー」の対立軸で歴史を読み解く

—— 先生は、ロックとルソーの対立軸によってこれまでの社会のシステムが理解できるといわれています。それはどういうことを意味するのでしょうか?

「左」とか「右」という言い方で政治的な立場を示すことがありますよね。それを「リベラル」とか「保守」と言い換える場合もあります。「右/左」と「保守/リベラル」の重なりについて細かくは本書を見ていただくしかないのですが、そうした対立軸で政治を捉えることがどんどん難しくなっている。

 

保守派のほうが改革を積極的に行う、なんてことは近年では普通に言われますが、言葉の意味だけ考えると混乱しています。「保守」とはそもそも「急進的な改革」を嫌う一派のことを指す名称だったわけですから。

最近では、リベラル勢力を受け継ぐ立憲民主党の枝野幸男さんも、文脈に応じてですが、「自分は保守だ」と言ったりしている。これだともはや、言葉が文脈に応じてしか意味を持たなくなってしまいますね。このときこのひとが「保守」というのはこういう意味で、このときの「リベラル」というのはこう、みたいに、一般的な用語として機能を失いつつある。

本書が提案するのは、簡単にいうと「右(Right)/左(Left)」を「ロック(Locke)/ルソー(Rousseau)」という別の「L/R」を使って整理するということです。これは実は歴史的に実際に「ロック/ルソー」が「右/左」の起源にあるのですが、その思想的な背景を忘却することで事柄が見えなくなっていることを示したいのです。

—— では、そのロック的なもの/ルソー的なものの定義のコアを教えていただけますか。

それは両方とも「社会契約論」に関わっています。「私的所有」を人間の基本的な権利として認めることから出発するのがロックの社会契約論、そうではなく、私的所有の放棄を最初のステップとして社会の同一性を大事にするのがルソーの社会契約論ということになるかと思います。

ルソーは、実際に明確にロックを目の敵にして、自分の社会契約論を書いていますので、両者の対立は根本的に相容れないものです。それにもかかわらず、この両方が近代社会の原理になっているのです。具体的には憲法にその思想が書き込まれています。

ロック――私的所有権は絶対!

—— ロックとルソーの社会契約論の内実について、それぞれ詳しく教えてください。まずロックから。

社会契約論というのは、人間の自然状態を設定するところから話が始まります。このときの「自然」というのは「本性」という意味で、つまり、人間とはこういうものだと決めておいて、そこから新しい社会を構想するというのが社会契約論の基本的な枠組みになるわけです。

ロックもまず人間の本性の状態を想定するところから始めます。ロックにとっての自然状態とは、「自分自身の身体を所有している」ことです。そして、そこから直ちにロックは「自分の身体を使って生産したものは自分のもの」と展開して、「私的所有権」を確立するわけです。

これは、人間の自然本性における権利なので「自然権」、つまり、どんな社会を構想するにしても、いつでも守られるべき権利なのだとロックは訴えたのです。