潔く美しい母の「死に方」が、腎臓病の娘に「生き方」を教えてくれた

自分の人生を歩む、ということ
徳 瑠里香 プロフィール

そんなある日、病室にみんなが揃った時、母は声を絞り出すようにして言った。

「私は死ぬけれど、未練も、悔いも、心配事もない。これまでお世話になりました。ありがとう、さようなら」

その時の表情があまりに清々しく、はるかさんはまじりけのない本心だと感じた。亡くなる3週間前の出来事だった。死を目前に、ぬくもりを湛たたえた生身の言葉が胸に刻まれた。

その後、はるかさんは姉と一緒に母をお風呂に入れて、身体を洗った。その時に触れた母の白磁のような真っ白い肌、少し細くなった体軀は息を吞むほど美しかった。

そして母は、がん告知を受けて1年半、ホスピスに入って1ヵ月、静かに息を引き取った。

 

「母は人生をやりきったという顔をしていた。死にたくないと悔やんで死なれたら、残された私たちも哀しくてやりきれなかったと思う。でも、母はあまりに潔く美しかったので、私たちも前を向いて自分の人生を歩んでいこうと思えた。母が亡くなった哀しみや喪失感よりも、よく生きた! という晴れ晴れしい気持ちのほうが勝っていて。母の死にざま、母の人生には"あっぱれ!"という言葉がしっくりくる」

残されたものを哀しませない母の死にざまは、母の人生に対する姿勢にも通じるものがあった。母の「死に方」は、はるかさんに「生き方」を教えた。死ぬ間際に「未練も、悔いもない」と言えるように、「いつ死んでも本望だ」と思える自分の人生を歩んでいくこと。

そして、はるかさんは今まさに、いつ死んでも本望だと思える、"自分の人生"を歩んでいる最中だ。

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