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潔く美しい母の「死に方」が、腎臓病の娘に「生き方」を教えてくれた

自分の人生を歩む、ということ
38歳のとき夫婦間で臓器移植をしたはるかさんは、「いつ死んでも本望だ」と言います。その背景にある、"母の死にざま"とは? 『それでも、母になる: 生理のない私に子どもができて考えた家族のこと』(ポプラ社)より特別公開!

潔く美しかった母の教え

夫婦間の臓器移植によって、たくまさんの確かな愛を感じ、生きる喜びを改めて知ったはるかさん。それでも死に対する恐怖はなく、「いつ死んでもいい」という。その背景には、はるかさんの心に刻まれた"母の死にざま"がある。

はるかさんが35歳の頃、母は66歳で生涯を閉じた。

その1年半前、東京で暮らすはるかさんのもとに母から卵巣がんを知らせる電話があった。

「お母さん、がんになったんよ。でも、医師は卵巣を取り除けば大丈夫と言っているから、心配はいらない。あなたは帰ってこなくていいからね」

気丈に振る舞う母の言葉に、いてもたってもいられなくなったはるかさんはすぐに福岡に帰省。すると、母のお腹は妊婦のように膨れ上がっていた。動揺を隠せないはるかさんとは裏腹に、「手術をすれば大丈夫だから」と母はのんびり構えていた。

1ヵ月後、予定通り行われた手術は成功。ところが、その半年後、がんは肝臓に転移していたことがわかった。

 

抗がん剤の種類を何度替えても効かず、母の容態は日に日に悪化。家族がセカンドオピニオンを提案しても、母は「先生がちゃんと診てくれているから、大丈夫」の一点張りで、自分の生活を大きく変えることはなかった。

できるだけ毎日料理をして、町内会の草むしりに参加し、30年以上続けてきたNHK英会話に取り組む。身体は弱っていても日常を手放すことはなかった。

がん告知から1年経たずして、母は余命を宣告され、ホスピス(終末期医療を行う施設)に入ることになった。母はその入院前日まで、自分の生活を続けた。その一方で、死にゆく準備をするかのように、自宅の私物を整理した。

ホスピスに入ってから、苦痛を和らげるための治療をし、母は昏睡状態になっていた。母の残りの人生を見届けようと、千葉、東京、アメリカから家族や親戚が母のもとに集まっていた。