夫はなぜ妻への「腎臓提供」を決めたのか、その恐怖と本心

38歳で臓器移植をした夫婦の物語
徳 瑠里香 プロフィール

夫の本心が知りたかった

腎不全になってから1年、はるかさんが37歳の時に、ふたりは夫婦間腎移植をすることを決意。そこから半年以上かけて数多くの検査をし、話し合いを重ね、準備を進めていった。

それでもはるかさんのなかにある迷いは消えることはなく、心の片隅ではずっと決断できずにいた。

「あまりにも夫があっさり『腎臓をあげる』と申し出たので、本当にわかっているのかな?本心で言っているのかな? という懸念があって。夫婦というだけで、健康な夫の腎臓を奪ってしまうのは、夫に対する虐待なんじゃないかって。私がプレッシャーをかけてしまっているのかもしれない。手術後に取り返しのつかないことをしたと後悔することだけはしてほしくない。だから、夫の本心が知りたかった」

夫の本心が知りたい――。心からそう願ったはるかさんは、手術まで残り3ヵ月を切った頃、たくまさんにある提案をする。それは、移植後に開く「交換日記」をすること。日記帳を2冊用意して、1冊をたくまさんに手渡した。ルールは、忖度なしで、相手に対する恨みつらみも包み隠さず、思ったことはすべて素直に書くこと。はるかさんの提案をしぶしぶ受け入れたたくまさんは、その日から、正直に思いを書きなぐった。

はるかさんはその日記をリアルタイムで見ることを、提案した時点で決めていた。目的ははじめからたくまさんの本心を知ることだから。それでも、夫に噓をついて、日記を覗き見するのは、罪悪感があった。ドキドキしながら、ページをめくると、そこにははるかさんに対する嫌悪感が書かれていた。普段はるかさんに見えていた優しいたくまさんとのギャップに、手と心が震えた。

 

たとえば、はるかさんが部屋に籠もって遅くまで仕事をしていた時。たくまさんが部屋に入ってきて、少しの間肩を揉んでくれた。はるかさんは優しいなあ、もっと揉んでほしいなあと思っていたけれど、たくまさんのその日の日記には、こう書かれていた。

――なんで遅くまで仕事をしているんだ。はるかさんのために腎臓を取られる人間の気持ちを考えたことがあるのか。
――身勝手すぎる。嫌悪感で、はるかさんの顔をまともに見られない。
――試しにはるかさんの肩に触れてみた。よかった、嫌悪感はない。この調子でいこう。

「まるでホラーの世界だった。夫の心のなかに潜り込んだような感じ。レシピエント(臓器提供を受ける者)の私に見えている景色と、ドナーの夫が見ている景色は全く違うものだったの。同じ場面でもこんなに見え方が違うのかと、夫婦生活の裏側が見えてきて、恐ろしかった」

健康な臓器をひとつ得て回復に向かうはるかさんが抱く希望と、健康な臓器をひとつ失い後退していくたくまさんが抱く恐怖。「臓器移植」という同じところへ向かうのに、ふたりは見ている景色も抱く感情も、全く違った。