「アートを観る目」はどう養われるのか

アートはカテゴリーで分断されているのではなく、続いている。そしてそこには様々な物語がある。そのように一枚のアートから箱を開けていくように広げて見ていくことで、様々な人生や時代を感じることもできる。それにしても、原田マハさんがこのようにアートを観ることができるようになったのはなぜなのだろう。

――神戸で「ワンウェイ」と言う洋書も販売しているアートショップがありました。ここに大学3-4年生の時にアルバイトをしたことが大きかったですね。例えばヨーゼフ・ボイスを知ったのもこのお店なんです。当時は80年代で、新しい文化が息づいた時代。それこそセゾン文化が生まれたあたりです、私は22歳のときにセゾン美術館でボイスの展覧会を観ましたよ。

ドイツの現代美術家、ヨーゼフ・ボイス。NYグッゲンハイム美術館に所蔵されている作品「The Pack」を前に「LIFE誌」で撮影されたもの Photo by Ted Thai/The LIFE Picture Collection via Getty Images

なにかひとつアートのドアが開くと、もうひとつドアがあって、次のことにつながっていく連鎖があり、新しいものにコンタクトしてくれる。それがどんどんコンタクトしていって、個々のもの点が繋がり、結び合って最終的に面になっていく。その感覚が、私のアートライフに満ち溢れた人生の在り方だったんだなと改めて感じます。

ただ、ピカソが好きだからといってピカソのひとつのジャンルを深く研究して、研究者の大家となったわけではなかった。だけどピカソというアーティストを入り口にして、そこからどんどん多くのことを知って行ったんです。子どものころから次にあるものを繋がっていくものを追いかけていたんですよね。

-AD-

「子どものころから」と言うが、原田さんはご両親にアートを「解説」されたという記憶はないようだ。ただ、自然にそこに足を運ぶことがあったり、画集が家にあったりしたと自身のHPの自己紹介でも書いている。原田さんが『暗闇のゲルニカ』で描いているピカソに最初に出会ったのは、原田さんが10歳のとき。岡山に単身赴任していた父親を訪ねて行った倉敷の大原美術館だった。

――ピカソの絵を初めて見た10歳のときは「あんたみたいなへたくそ、私の方が上手いわよ」というのが感想で(笑)。何か、同じステージに立ってかけっこするみたいな感覚があったんです。そういう感覚にさせるのはピカソの素晴らしさでもあるんですが、そのあと大学時代に京都の美術館でピカソの作品に出会ったときにも、再び10歳のときの感覚とリンクしました。

10歳の時はもちろん「ピカソの絵だ」とか名前で見ているのではなく、ただその一枚の絵に会っている。それが時代を超えて再びそのアーティストに会い、身体に記憶されているものが蘇ることもあるんですよね。
不思議ですけど、昔から絵や物語に入って行っちゃうんですよ。子どものころにダ・ヴィンチの画集でモナ・リザなどを見ながらいろんな想像をしていましたね。