好きな男が触りたいお尻はほしい

そして田中さんは言う。「嫌な男にお尻を触られたくないというのは、運動の大義ですよね? でも私たちには、好きな男が触りたいと思うようなお尻がほしいという個人の欲望もあるんですよ。その両方があっていい、それこそが“ここにいる私”なんだというのがリブの新しさだった。私たちはやさしさとSEXの両方を持ち合わせた存在なのに、男が社会が、女たちを“母”と“便所”にひきさいて、結婚の相手に選ばれるために(モテるために)“どこにもいない女”を演じてしまう自分がいる……」

その意識構造は、男女雇用機会均等法ができて久しい今でも、大して変わっていないかも知れない。ようやく最近、女性クリエイターによる女性向けAVというのも作られるようになっているが、圧倒的多数は男性向けであり、あくまで女性は搾取される性として位置づけられている。女性が自分の欲望を大っぴらにするのは恥ずかしい(少なくとも結婚相手には選ばれづらくなる)という呪縛は今でもあって、私たちはともすれば、ありのままの“私”ではなく、周りから期待される“どこにもいない女”を生きている。

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しかも、「女の不幸は、男の不幸と表裏一体になっている」と言うのだ。女が男の奴隷だとすれば、男は社会の奴隷であり、単なる奴隷頭でしかない。男が奴隷としての忠義を尽くし続けられるように、女を母と便所に分断して男に与え、そのプライドと欲望を満足させることで社会の秩序は保たれてきた……当時はラジカルすぎて、マスコミ(今より圧倒的な男社会)から大バッシングにあったという「田中美津」の思想。目からウロコだった。

しかし、それを語る目の前の田中さんは、とてもオシャレでキュートな印象さえある。
「私は昔から、デモに行く時でも、スカートやヒールの靴もはいていました。リブっていうとスッピンでGパンで女らしさを拒否する、みたいな分かりやすさも嫌だったし、好きな恰好をした方が楽しいじゃないですか」

集会の時の田中美津さん。映画『この星は私の星じゃない』公式HPより 撮影/松本路子