昨年の春、青空の広がる暖かい日に、僕は「そうだ、人工細胞をつくろう」と思い立って町へ出た。
自転車を漕いで、まず訪れたのは近所の百均だ。そこでプラスチックのタレ瓶を、大小いくつか買い入れた。次にドラッグストアへ行って、消毒用エタノールと精製水を買った。最後にスーパーで食紅とにがり、鶏卵、そしてポカリスエットを1本、仕入れた。締めて1300円くらい──。
家に戻った僕は、さっそくキッチンに立ち、細胞をつくりはじめた。まず卵を割って、黄身だけを容器に入れる。不器用な僕には、この段階が最も難しかったかもしれない。2個くらい無駄にした。
何とか取りだした黄身を、タレ瓶の中にスポイトの要領で少しだけ吸いこんだ。そのタレ瓶にエタノールを入れ、さらににがりを加えてシェイクする。しばらく置いてできた上澄みを、プレパラートの上に数滴垂らして乾かした。そこに食紅で赤く染めたポカリスエットを垂らす(ちなみにアクエリアスではダメだ)。数分後、精製水を垂らして、赤いポカリスエットを少し薄めた。
カバーグラスを載せて、顕微鏡でのぞいてみる。視野をあちこちに動かしていると、あった──赤っぽく染まった楕円形の小さな袋である。これが人工細胞の「細胞膜」だった。
この短いエッセイで、何が起きているかを詳しく話すことはできない。とにかく、その細胞膜は、我々を含む全生物の細胞が持っている膜と同じなのだ。
たとえば大腸菌は1個の細胞だが、その外側を覆う細胞壁を、ある酵素で剥がし、細胞膜がむき出しになった状態で人工細胞にくっつけると、両者は融合してしまう。僕はそれを試してはいないが、おそらくそうなるはずだ。
僕がつくった人工細胞は0.02ミリ前後の大きさだが、そのサイズに合うものなら何でも中に入れられる。たとえば塩少々と、台所洗剤、先ほどの消毒用エタノールがあれば、果物や野菜からDNAを取りだせる。それをポカリスエットに混ぜて、タレ瓶の上澄みを乾かしたものに垂らせば、DNA入りの人工細胞をつくることも可能だ。
さすがに、それだけで分裂したりはしないが、構成要素としては本物の細胞に一歩、近くなる。
細胞膜をつくるところまでだったら、30分くらいでできた。ちょっと拍子抜けするくらい、簡単なのだ。特別なスキルは必要ない。素人でもこんな調子なら、プロの研究者はどこまでやれるだろう。