あなたにとっての「生命」は?夏のホタルに教えられたいくつかのこと

合成生物学は何を生みだすのか
藤崎 慎吾 プロフィール

そのような疑問を抱きながら、僕は生命の起源や進化の解明を目指す多くの研究者と会い、長年、取材を重ねてきた。そして2017年からは、講談社ブルーバックスのウェブサイトで「生命1.0への道」を一年余り連載した。その一部を再構成した上で加筆・修正し、新たな原稿を加えたのが『我々は生命を創れるのか』である。

僕が抱いていたような疑問への答えは、研究者によって、まちまちだった。生命の特徴の一部しか備えていない「半生命」がいた、あるいは、いてもいい、と言う人は思いのほか多かった。しかし、そんなものは「ただの高分子です」と言い切り、やはりすべての特徴を備えていなければ生命ではない、と言う人もいる。そうした立場によって「どこで誕生したか」も変わってくる。

そもそも生命の定義は複雑で、いちがいには言えないという人もいた。確かにそうだ。科学だけに答えを求めるわけにはいかない。なぜなら日常的に我々が何かを「生き物だ」「生きている」と思うとき、生物学的な特徴だけが頭にあるわけではない。人によっては、自分が大事にしている人形や道具にでも、「命」を感じる時がある。実は科学者にさえ、それは当てはまる。彼らも我々と同じ人間だ。完全に客観的・科学的に生命をとらえることなど、不可能なのかもしれない。

フラスコの中に泳ぐ細胞は「生命」か「機械」か

今、「合成生物学」という新たな学問領域が注目を浴びつつある。その研究者の中には「生命とは何か」を解明するため、研究室で原始的な生命の創造を目指している人もいる。たとえて言えば、時計の構造やメカニズムを理解するために、自ら時計をつくってみようとするようなものだ。あるいは人間の脳の仕組みを知るために、人工知能をつくってみることにも似ている。

すでに僕から見れば「半生命」くらいのレベルに達しているのでは、というくらいの「人工細胞」が、彼らのフラスコには泳いでいる。あと四、五年すれば、物質的にも機能的にも、本物の細胞と同等なものが誕生するかもしれない。

胎児培養Photo by iStock
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その時、我々はその細胞を何と見るだろう。「生命」か、あくまでもミクロの「機械」か? そもそも我々は生命と、そうでないものとを、どう区別しているのか。その判断は、果たして確かなものなのか? 今回の本では科学の最先端とともに、そうした問題も正面から取り上げた。

「謝辞」には書かなかったが、僕に命の儚さと重さを教えてくれた一匹のホタルに、この本を捧げたいと思う。

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