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先崎学九段が明かす「羽生善治が将来を語り、米長邦雄が涙した日々」

特別企画【棋士と酒】
トップ棋士が言いたい放題、騒ぎ放題。だからこそ垣間見えた本音の姿に惹きつけられ、若手が先輩と盃を重ねた。「昭和の将棋指し」をもっとも受け入れた場所、それが前回の記事で取り上げた酒場「あり」だった。後編のインタビューに応じた先崎学九段は49歳で、20代前半のときから「あり」の常連客だった。2014年に「あり」が閉店し、将棋界から消えたものは何か。先崎九段は「藤井聡太ブームとは異質の、荒くれものの将棋指し」と指摘する。

【前編はこちら】羽生善治九段も通った――将棋界に酒場「あり」があった時代

 

5時間の棋戦を終えて飲みに繰り出す

初めて新宿2丁目の「あり」に行ったのは、先輩に連れられてでした。ほかの酒場と違い、「あり」は一流棋士がいくところ。ものすごく緊張しましたけど、それまで記録係として仰ぎ見る存在だった棋士を間近で、しかも酔っぱらったところを見られるのは新鮮でしたし、自分がこの業界の一員として扱われていることに喜びを感じました。

若造を相手に時に威張ったり、愚痴ったりしながらも、棋界に生きる勝負師としての本音を語ってくれる。トップの棋士達は本当に輝いていました。いまの藤井聡太ブームから連想される棋士像とは真逆の世界で、私にとって魅力的な世界だったんですね。

「あり」での一コマ。将棋盤を見つめるのは、元N響の故・岩淵龍太郎氏。その隣は中原誠十六世名人。写真提供:あり

将棋界は四段以上がプロ棋士で、三段以下は奨励会という研修機関のようなものに所属します(奨励会6級に入会するだけでもアマ四段レベルの実力が必要)。奨励会員のうちは将棋が強くなることがすべてで、ほかのことは視野が狭くなりがちです。そして、将棋界の理屈を完全に知らないまま棋士になります。

例えば将棋界の理念、棋士がなぜ大勢食っていけるか、なぜ将棋という本来遊びごとの世界が成り立つのか。それらのことは先輩棋士との会話から学ぶことがいちばんです。その媒体としてお酒がいちばんの潤滑油でした。ファンの方々はさまざまな楽しみ方が増えましたが、内側はあくまでも狭い世界であり、そこには伝承という空気がありありと残っています。

若いときは対局が終わってからもよく飲んだんですよ。体力もあるし、当時は持ち時間が5時間以上の棋戦が多く、感想戦を終えると終電間近。ほかの対局者もだいたい終わる時間が同じだから、人を誘いやすかったんですよ。深夜にみんなで疲れ切って飲む酒でした。