言われたことを淡々とこなすより
「情熱ややる気」の方が認められる

これがアメリカではやたらと通用した。アメリカ人の学生たちが当たり前のようにやっていたし、彼らは何かにつけて教師に対して意見をし、交渉していた。日本では「生意気」か「ズル」で片付けられそうなことを、教師たちが生徒個々のリクエストや交渉になるべく応じるようにしていて、目からウロコだった。

ようするに「情熱」や「やる気」といったフワっとしたものが、ただ単にテストで高得点を取ること以上に評価されるーー。これを日常的に目の当たりにするようになり「このシステムなら私でも出来るかも知れない」と、私はどんどん自信をつけていった。2年経った頃には、英語が理由で大きな苦労や損をすることもなくなり、同級生からも人間扱いをしてもらえるようにもなっていた。

ちなみに、この「情熱ややる気」の方が、額面通り言われたことを淡々とこなすことよりずっと評価されるという高校時代に習得した交渉システムは、社会人になっても私の武器であり続けてくれた。日本にある外資系金融機関という環境で、この武器に何度助けられたか分からない。

「見よう見まね」の驚くべき効果

話を英語習得に戻すと、冒頭のスペイン人がやっているような「見よう見まね」の演劇型英語習得方法を、留学時代に自然と実践していたことに気付く。アメリカ人はどんな時にどんな「顔」で、どんな手振り身振りで会話しているのかをじっくりと観察し、モノマネする事でコミュニケーションの正確度が確実に上がる。

年齢や性別その他のスペックまたはシチュエーションでもそれは微妙に変わっていくので、沢山のパターンを観察し、モノマネし、反復すること。それは英語が通じないと命取りとなる当時の私の置かれた環境では、モノマネが下手であろうが何だろうが関係なく、とにかく取り組まなければならないことだったのかも知れない。一人で道を歩きながらバカみたいにブツブツ英語を反復しまくった日々が懐かしい。

もし「日本の一般的な英語教育ではいつまで経ってもコミュニケーションが取れない」との批判があるのであれば、一度机の上の文法とは別に「演劇型の英語教育」のカリキュラムの導入を検討してみても良いのかもしれない。ロジックとしては「必須科目の演劇のクラスがたまたま英語でした」という逆の発想で。