大阪公立高校でヤサグレていた頃

私自身の英語習得は留学という「ワープ」によって実現した。何故ワープという言葉を使ったかというと、英語を何年も習っているのに一向に話せるようにならなかった人が、たった1年の交換留学で日常会話はあっさりペラペラになったというケースを何度も見てきたからだ。もちろん留学といっても、現地でサーフィンしかしてないというような遊学ではない。ただ、長年、日本国内で机に向かうより、たった1年のがむしゃらな「ワープ」が効く。これが外国語取得の皮肉な現実なのだと思う。

私のワープが実現したのは高校3年生の時。それまでは大阪の公立高校でヤサグレた毎日を過ごしていた。将来が見えなくて長期家出をしたり、学校に行かなくなったりして悶々とし、完全に人生の方向性を見失っていた。母はそんな私にどう対応したら良いか分からず、私を家から一歩も出さないと監禁したり、怒ったり泣いたりして、私が大事にしていた原付バイクを勝手に捨てたりした。父は金髪に染めた私の髪の毛を引きずり回し「こんな髪だからアカンねん!」と台所でめちゃくちゃに切られたこともあった。カオスだった。

当時在籍していた公立高校は偏差値も低く名もない地元の学校だったけど、新しく赴任して来た英語の先生が若い熱血教師で、学校に来ない私を追いかけ回しては先生が知ってる壮大なアメリカの話をしてくれた。先生の留学時代の話。先生が英語で苦労したこと。世界共通語である英語の重大さ。これから続く長い人生を英語ナシで送ることに付随する計り知れないロスとリスク。気がついたら私はアメリカに行かない人生を想像出来なくなっていた。

親に直談判すると、困り果てていた両親はむしろ喜んで送り出してくれた。18歳でその公立高校を休学し、2年学年を落としカリフォルニアで高校生をやり直し、大阪の高校に戻って、やっと卒業した時は既に20歳になっていた。2年も学年を落とした理由は、アメリカの大学も日本の大学も過去2年の内申を見るケースが殆どだったため、大阪の高校のヤバイ成績表を抹消する必要があったのだ。2つ落とさなくてもいいのではと不思議がる両親の反対を押しのけて、私は16歳の子ども達と同級生になる道を選んだ。

留学したころの川村さん。ガンつけてる? 写真提供/川村真木子