日本の軍部は、こうして言論を統制した〜基準を作り忖度させる巧妙さ

大衆は神である(64)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

昭和10年代に入ると、戦争の気配が濃厚になっていく。そんななか軍部は言論統制に乗り出すが、そこには、恣意的な基準を作り出し、出版社に忖度させる巧妙な手法があった。

第七章 紙の戦争──不協和音(3)

どこからともなく、誰がいうでもなく

『講談社の歩んだ五十年』の執筆者のひとり、辻平一(つじ・へいいち:元『サンデー毎日』編集長)に言わせると、軍の発言が非常に強力になってきたのは昭和14年から15年のことであった。もちろんまだ対米英戦争は始まっていなかったが、軍の圧力が不気味に国民にのしかかっていた。

といって、軍から直接、編集者に対して、あの男には執筆させるな、とか、こういう記事はけしからんとか、別段の発言はなかった。少なくとも辻が関係しているものにはなかった。

軍から直接にはなかったが、どこからともなく、そんな意向があるらしいことが、すき間をもれてくる冷たい風のように、編集者の胸にしみこんできた。

「あの筆者はいけないらしいぜ」
「誰が言っているの?」

と、その風聞の根を洗っていっても、はっきりしたことがつかめないことが、よくあった。誰が言ったのか、だんだん、それからそれへと探っていっても、ある程度まで進むと、結局発言者はぼやけてしまうのだった。

「幽霊だよ。幽霊に脅えないように、しっかりやろうぜ」

辻は同僚たちとそう語りあった。正体のはっきりしないところに、いささかの不安はあったし、それに陸軍の報道部あたりから流されているらしいことは、おぼろげに推察できたが、正体を見せないものに、わざわざ先方の意向まで推し量って、びくつく必要もあるまい。正体を見せてからでも遅くはないだろう。

 

そうしたころ、昭和15年の夏、陸軍報道部から『サンデー毎日』の編集責任者に至急出頭しろ、という電話があった。いよいよ来たな、と思った。が、どこが悪いのか、いっこう見当もつかない。

当時、大竹憲太郎編集長は大阪に在勤していた。早速電話で連絡して、その晩の急行に乗車してもらい、翌日、大竹といっしょに報道部に出頭した。