「自分の命を失ってでも産みたかった」女性が子どもを堕した日

あまりの喪失感に2年間感情を失くした
徳 瑠里香 プロフィール

我が子を産み落とした

そして、中絶手術当日。薬で陣痛を起こし、分娩台の上でいきみ、我が子を産み落とした。

産声はあげなかったものの、頰の横に連れてこられた我が子はぴくぴくっと動いて生きていた。涙が溢れ出た。両手に乗るほどの小さな小さな我が子は、夫に似ていた。

我が子を産み落とし、離れた直後、胸が張ったが、もう母乳を飲んでくれる子はいない。

母乳を止める処置をした後も、それから数日間、人間はこんなにも泣けるのかと思うほど、滂沱(ぼうだ)のごとく涙が流れた。

あまりの喪失感に、そこから約2年間、はるかさんは感情を失くした。表面上、なんとか笑顔をつくることができたとしても、心から笑うことはなかった。

 

生きることはできなかったけれど、はるかさんとたくまさんにとって、大事な子どもで、家族の一員であることには変わりない。名前をつけて、生まれた時に撮った写真を今でも神棚に飾っている。

はるかさんはその後、子どもを堕ろしたことで著しく低下した腎機能を整えるために、ステロイドを投与する「パルス療法」を行った。そして、紹介状を片手に、微かな希望を持って、腎臓病患者の妊娠・出産に多く携わってきた名医を訪ねた。

ところが、検査をした後、医師は「あなたには、妊娠をお勧めできない」と診断した。妊娠を機にはるかさんの腎機能は急激に悪化していた。医師としては、母体の腎機能が低下することが明白な状態で、妊娠・出産は勧められない。

はるかさんも、たくまさんとの将来を考えると、一か八かの選択はできなかった。

つづきはこちら:夫はなぜ妻への「腎臓提供」を決めたのか、その恐怖と本心