特攻基地でも飼われていた…!最前線で戦う若者たちが愛した犬たち

出撃の直前まで犬をかわいがっていた
神立 尚紀 プロフィール

「シロよ、おれはお前を忘れぬぞ」

最後に、「人間爆弾」と呼ばれる特攻兵器「桜花」搭乗員だった佐伯正明さん(旧姓・味口。一飛曹)が当時つけていた日記に描かれた犬との交流を紹介したい。

 

茨城県の神ノ池基地で飼われていた、「シロ」のスケッチである。斑模様のある犬だが、これもなぜか「シロ」と名づけられた。元は、「桜花」の母機である一式陸攻の機長が、中国大陸の前任地から神ノ池基地まで飛行機に乗せて連れてきた子犬だったという。佐伯さんの日記には、シロは〈飛行時間四時間の記録を持つてゐる〉と記されている。

特攻兵器「桜花」搭乗員・佐伯正明さんの日記より、神ノ池基地で飼われていた「シロ」のスケッチ。昭和20年3月

人に慣れ、兵舎のベッドにもぐり込むなど、自由気ままにしていたが、用便だけはきちんと外でする。隊員たちも、「シロ」がベッドに残していったノミに閉口したりしながらも、よく世話をしていた。

同じく佐伯正明さんの日記より、「シロ」の寝姿

ただし、ペットが「家族の一員」などという発想がなかった時代(戦後もふくめ、昭和の時代は、犬は外で飼い、人の残飯を餌にするのは当たり前で、「家族の一員」などと言われるようになったのは比較的近年のことだ)、隊員たちの「可愛がり方」は、現代の感覚とはいくぶん様子が違う。

海軍では、「手荒く美味い」「手荒く美人」など、何かにつけ「手荒く」という言葉を使った(近年の「超〇〇」にニュアンスが近いスラング)。「シロ」への接し方は、海軍流に言うと、「手荒く可愛がる」ということになろうか。

葡萄酒を飲ませて千鳥足になるのを面白がったり、ウイスキーを飲ませ、額に日の丸を描き、前脚を持って「炭坑節」を踊らせたり、「耐寒訓練」と称して、冬の池に投げ込んで泳がせたり……。いまなら、ペット愛好家が目を剥きそうな記述が残っている。

佐伯正明さんの日記に記された「シロ」の「耐寒訓練」の様子

だが、犬が好きな人もいれば嫌いな人もいるのは世の常である。「シロ」は、昭和20年5月12日、ふとした悪戯に腹を立てた何者かによって殺害されてしまう。このときの佐伯さんの日記には、

〈おれは長い間シロと共に遊び、シロも亦誰よりもおれを強く慕つてくれた。シロ、シロのことは今後悲しき事実として頭に残り、シロの姿は何時迄も眼に映ずるであらう。シロよ、おれはお前を忘れぬぞ。(中略)シロはおれが今後出會ふ犬(飼犬)に再現せられ、愛撫せられるであらう。〉

佐伯正明さんと「シロ」。荒い画面だが、可愛がっている様子は伝わってくる

「シロ」の死から2日後、佐伯さんは、基地の近くの農家で生まれた三毛猫の子猫をもらいうける。沖縄特攻のさなか、いつ特攻出撃の命令がくだるかわからないが、佐伯さんは、掌に乗るほどのその小さな子猫に「ミー」と名づけて可愛がった。「ミー」は、食卓に上がって、隊員が与えた小魚を無心に食べる。誰かが、「犬と違って、猫を殺したりしたら化けて出るぞ」と言った。そして5月20日、真っ黒な子犬が基地に迷い込んできて、またも佐伯さんが世話をすることになった。子犬は「黒」と名づけられ、馴れるにしたがい「ミー」とも仲良しになったという。

神ノ池基地の「シロ」が、昭和20年5月12日に死に、ほどなく佐伯さんのもとへやってきた猫の「ミー」のスケッチ。日記には、真黒い犬「黒」も飼い始めたことが記されている

そして8月15日。出撃待機中に終戦を迎えた佐伯さんは、後ろ髪引かれる思いで「ミー」や「黒」と別れ、故郷・愛媛県に復員した。終戦直後の混乱で、犬や猫を郷里に連れ帰ることなど、到底不可能だったのだ。

――最前線にいた犬やペットたち。けっして歴史の表舞台で語られることはないが、極限の状況でもそこには人との絆が生まれ、人は動物に心の安らぎを見出していた。

そしてペットは、それぞれの人の心に忘れられない思い出として残り、ある人は犬を、ある人は猿を、戦時中、自分を支え、励ましてくれたペットの面影を重ねて、戦後も何代にもわたって飼い続けた。

時間軸の幅を、ほんの少し広くとるだけで視点が変わり、これまで気づかなかったことも立体的に見えてくる。ときには、歴史のなかで人とともに生きた、動物たちの小さな命にも思いを馳せてみたい。

文中に登場する犬好きの進藤さん、羽切さん、加藤さん他、6人の戦中、戦後の証言を収録している。