中国戦線の基地で飼われていた愛犬「蒋介石」を抱く搭乗員たち

特攻基地でも飼われていた…!最前線で戦う若者たちが愛した犬たち

出撃の直前まで犬をかわいがっていた

神立尚紀さんが、元海軍の搭乗員や遺族の方々から託された写真を見ていて気づくことがあった。最前線の基地で撮られたスナップの中に、若い搭乗員たちが犬を抱いている写真が多いのだ。

死と隣り合わせの日々を送っていた20歳前後の若者たちは、どんな思いで犬(猫や猿や鳥もいた)を飼っていたのだろうか。

 

散歩中に飼い犬をなでてくれたおじいさんは!?

いまから17年ほど前のことである。

私は、殺処分寸前の白い雑種の子犬を引きとり、「チロ」と名づけて飼い始めた。以来、毎晩、少しずつコースを変えながら、約1時間の散歩を続けた。

散歩の途中、いろんな人に声をかけられる。もちろん、相手の関心はチロにあって私にはない。それが証拠に、犬の名前や年齢を尋ねられることはあっても、飼い主である私の名前を聞く人は、チロが生きていた14年半の間に一人もいなかった。近所の子供たちは、私を「チロちゃんのおじちゃん」と呼んだ。

そんななか、気になるおじいさんがいた。歳の頃は90歳近いだろうか。脚がやや不自由そうだったが、毎日、チロの散歩の時間になると、奥さんに付き添われ、家の前に出て待っているのだ。おじいさんはほとんどしゃべらず、ただ、「可愛がってくれる人」だと認識して駆け寄るチロに目を細め、しばし撫でているだけである。

その間、おばあさんとは少しだけ話をする。聞けば、そのおじいさんは、戦争中から白い犬に特別な思い入れがあって、代々白い犬を飼っていたが、最後に飼っていた犬が、つい最近死んでしまったのだという。それで、気落ちしているところに、飼っていた犬にそっくりな白い子犬(=チロ)が家の前を散歩するようになり、夜その時間を楽しみに、必ず外に出るようになった、と。

だが、いつしかおじいさんの姿は見えなくなり、やがて家も取り壊されて、その場所には新しいアパートが建った。あの、チロに目を細めていたおじいさんは亡くなられたのだと思った。

その人の名を私は知らないし、相手もまた、私を知らない。

ところが昨年、真珠湾攻撃の記事を書いたさい、改めて真珠湾攻撃参加搭乗員の生存者名簿(1995年現在)を見返して、東京都内のまさに同じ住所に、空母「翔鶴」の九七式艦上攻撃機水平爆撃隊の一員として、第二次発進部隊に加わった人の名を見つけて一驚した。この搭乗員が、あのチロに目を細めた本人だったかどうか、いまや確かめるすべもない。だが、仮に本人だったとして、きっと、軍隊のなかで白い犬を飼っていたことがあって、戦後も長くその面影を追っておられたのだろうな、と思った。

――人と犬の間には、特別な「絆」があるという。ここでは、そんな戦場の犬と隊員たちの話を紡いでみたい。

中国戦線の基地で「蒋介石」名付けられた犬

もともと、「軍用犬」というのは昔からいた。人間よりはるかに優れた嗅覚を生かして警戒、捜索に利用されるばかりでなく、伝令に用いられたり、第二次世界大戦中のソ連軍では、犬の体に爆薬をとりつけ、起爆装置を遠隔操作して犬もろとも爆破、ドイツ戦車を破壊する「対戦車犬」までが実戦に投入された。日本軍が戦場に送った多くの軍用犬は、戦いに斃れ、あるいは食糧不足の犠牲となり、生きて日本に帰った犬は一頭もいなかったという。東京・九段の靖国神社には、軍馬、軍鳩と並んで、軍犬の慰霊碑が建ち、毎年、合同慰霊祭が営まれている。

だが、ここでの主題は軍用犬ではない。前線基地で、将兵が飼っていたペットのことである。軍隊で、戦闘に関係ない動物を飼うのはあくまでレアケースだが、それでも少なくない実例があるのだ。

戦地にいた旧軍人のアルバムを見ると、犬と一緒に写っている写真が意外に多いことに気づく。よく見ると、同じ犬が、何人ものアルバムに登場したりもする。

なかでも私が興味を惹かれたのは、ベテランの戦闘機搭乗員だった中島三教さん(昭和8年、海軍に入り、中国大陸上空で活躍。一飛曹。のち、米軍捕虜となる)のアルバムに貼られていた1枚だ。昭和13(1938)年、中国大陸江西省の九江基地に進出していた第十二航空隊(十二空)指揮所前で、若き日の中島さんが子犬を抱いている写真があり、その下に、〈蒋介石と我輩〉と書かれている。

子犬を抱く中島三教さん。昭和13年、中華民国・九江基地で。この犬は交戦相手国の元首の名をとって「蒋介石」と名づけられ、隊員たちのアイドルだった

「蒋介石って、中国国民党の蒋介石ですよね」

「そう。隊に迷い込んできた子犬がおったから、拾って『蒋介石』と名づけて、みんな可愛がっとったですよ」

交戦相手国の最高指導者の名前を、犬につけていたのだ。犬の『蒋介石』は、中島さんに特になついていたという。同じ部隊にいた戦闘機搭乗員・宮崎儀太郎さん(昭和17年6月1日戦死、飛曹長)や、坂井三郎さん(のち中尉。ベストセラーとなった『大空のサムライ』で知られる)が、「蒋介石」を抱く写真も残されている。

子犬の「蒋介石」を抱く宮崎儀太郎さん(左)、坂井三郎さん(右)。昭和13年、九江基地にて

この「蒋介石」がその後どうなったか、中島さんや坂井さんもほどなく転勤で隊を離れ、確たることはわからない。だが、2年後の昭和15(1940)年、十二空で、配備されたばかりの零戦を駆って戦った岩井勉さん(のち中尉)、羽切松雄さん(同)によると、その頃、漢口基地で飼われていた茶色い犬も「蒋介石」と呼ばれていたとのことで、同一犬である可能性が高い。

昭和15年9月12日、漢口基地での零戦による3度めの出撃直前、搭乗員が整列し、緊張感みなぎるなか、一人の士官の足にクンクンと鼻を近づける「蒋介石」の姿が、写真に残っている。これが九江基地の「蒋介石」と同一犬なら、2歳半ぐらいだろうか。

昭和15年9月12日、漢口基地で、零戦3度めの出撃前の搭乗員整列。羽切松雄さん(整列する飛行服姿、左から2人めの髭の搭乗員)によれば、右端の士官の足元にじゃれているのが成犬になった「蒋介石」

羽切さんによると、十二空では隊員が転勤などで交代するとき、非公式にではあるが、飼い犬の引継ぎも同時に行われていたという。

十二空にはもう一匹、「ジロー」と名づけられた3歳のシェパードがいて、こちらは昭和13年、武漢の戦いで飼い主と離別したところを、日本兵の誰かに拾われ、以来十二空で飼われていた。

犬好きの零戦搭乗員・大石英男二空曹(昭和19年9月12日戦死、飛曹長。注:昭和16年5月末日までは、飛行兵曹ではなく航空兵曹と呼んだ。)が、隊長から「犬係」に任命されて「ジロー」の世話をした。大石二空曹は、自分が多少ひもじい思いをしても、好物の肉や牛乳を与え、「ジロー」も、野犬から隊員を守ったり、基地の周りで食用になる兎を獲ってくるなどして、飼い主に応えた。基地を移動するときには、大石二空曹が零戦の操縦席の後ろに「ジロー」を乗せて一緒に行動したというが、本人が戦死していることもあり、残念ながら「ジロー」の写真は見つからなかった。