中国の絶景・世界遺産「客家の土楼」を呑み込む時代の激動

失われゆく故郷と人々の思い
中村 治 プロフィール

漢民族の「顔」を探しに

北京滞在時からずっと考えていたことがある。北京人の多くは漢民族である。その漢民族を集団として捉えた時、一体どんな顔が現れるのだろうか。そもそも漢民族とは、どういう顔をした人々なのだろうか。

北京は100年前の清朝でも都であり、当時は満州族が支配していた。元の時代にはモンゴル族が支配した。異民族が一族郎党を引き連れてやって来る。混血も進んだことだろう。そう考えると、漢民族という存在を、一概に捉えるのは難しいのではないか。

約13年前の2006年に僕が福建土楼の撮影を始めたのは、その長年の問いに何かしらの答えを探したかったからでもあった。

中国科学院の調べによると、中国で最も住民の幸福度が高い街という、福建省沿岸部の都市、厦門。成田から3時間で厦門に着き、そこから長距離バスに5時間乗って中継都市の龍岩へ。ハイエースほどの大きさのミニバスに乗り換え、3~4時間ほどで南靖の「田螺坑土楼群」に到着した。

翌朝から早速、村を回り写真を撮り始めた。今は世界遺産に登録されている土楼の前に座っていた、80歳だというお爺さんにカメラを向けると、笑顔で写真を撮らせてくれた。

聞くと、先月ユネスコの調査団がやってきて、世界遺産の登録に向けて審査が始まっているという。地元政府も登録に向けて補助金を出し、土楼の補修が進められていた。

 

その2年後の2008年には世界遺産に登録され、国内外から多くの観光客を集めることになるその土楼周辺も、当時はまだ訪れる観光客も週に数組といったところだったようだ。それでもお爺さんは、観光客がこんな山奥に来ること自体を自慢げに僕に語っていた。

僕がそのお爺さんを撮影していると、「もっと下のアングルから撮る方がいいんじゃないか?ところで君はどこの学校の人間だ?」と話しかけてくる初老の男性がいた。「日本から来た写真家だ」と答えると不思議な顔をして、そのままその場から立ち去った。

午後、その村の別の場所で撮影していると、またその男性と出くわした。今度は「この人はとてもフォトジェニックだから撮った方がいい」とか、次から次に勝手に人を探してきては僕の前に連れてくる。面倒に感じた僕は適当にあしらって、その場を退散した。

ところが、夕方食事をしようと食堂に入ると、またその人がいた。1日に3度も会うとは不思議な縁だと、そこで初めてお互いに自己紹介をした。

彼はバイクで1時間程行った街で美術教室を営みながら、30年間土楼とそこにある生活を描き続けているという水墨画家で、名前を林昌年といった。

彼は僕に言った。君が今日撮影していた土楼群は世界遺産への登録を目指し整備が始まっていて、商業化されつつある。ここにはもう、昔ながらの土楼での人々の生活はない。

過疎化は進んでいるが、まだ商業化とは無縁の昔ながらの生活が残る村もある。芸術家なら見せかけのものを撮って満足するのでなく、本当の土楼の生活がある村を撮るべきだ。良かったら私が連れて行く、と。

次の日から、林先生が運転するバイクの後ろに跨り、土楼を巡る旅が始まった。

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