中国の絶景・世界遺産「客家の土楼」を呑み込む時代の激動

失われゆく故郷と人々の思い
中村 治 プロフィール

「客家」と僕の出会い

そもそもの福建土楼との出会いは、25年前に語学留学で滞在していた北京でだった。

僕は大学を卒業してすぐに北京で生活を始めた。それは写真を撮るためだった。写真家になるにはとにかくシャッターを切らないと、と思った。そのためには全てが目新しい外国でしばらく生活するのがいいのではと考え、貯めたお金で2年くらい滞在出来そうな中国を撮影の場に選んだ。

僕は、授業が終わると毎日カメラを片手に街に出て胡同を歩いた。胡同とは元朝から続く街並みを残す北京の路地のことを指す。

 

そこで自分が知ったのは、中国人の素朴さ、暖かさだった。写真を撮っていると多くの人が気軽に話しかけてきた。

「吃饭了吗?(ご飯食べたか?)」。この言葉はみんなが同じ釜の飯を食べた人民公社時代から続く挨拶の名残だそうで、人々の第一声はだいたいこれだった。「还没吃呢(まだだよ)」と答えると、家に麺が残っているから食べていけ、などとよく言われた。

中国人ならただの挨拶なので断るところなのだろうが、遠慮のない僕は多くのお宅で食事をご馳走になった。僕にとって当時の北京は、いい意味でも悪い意味でも、まだまだ人と人が気軽に触れ合い、情感がふんだんに残る街だった。

当時は写真を始めてまだ2~3年の頃で、僕はとにかく写真に飢えていた。書店を見つける度に写真を探したが、写真雑誌なんてものはほとんどなく、書店にある写真に関するものは、あっという間に見終わってしまった。

ある日、写真が載っているというだけで何気なく手に取った建築の本のなかに、福建土楼が載っていた。

僕はその独特な形態の集合住宅に魅了され、それらの住民である客家という人々を始めて意識するようになった。彼らは遠い昔に中原から移住した人々なのだと書いてあった。

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