中国の絶景・世界遺産「客家の土楼」を呑み込む時代の激動

失われゆく故郷と人々の思い

2019年春、僕は10年ぶりに、中国南東部にある福建省の山間の村々に足を踏み入れた。それは、一つのことを確認したいと思ったからだ。

僕は2006年から2008年にかけて、福建省の山間部に点在する福建土楼と、そこに住む人々を撮影した。その時案内を買って出てくれた現地の水墨画家は、ずっと僕にこう言っていた。あと5年もすると、ここで観られる風景も夢と消えるだろうと。

あれから、10年が経った。彼の言葉の意味を確かめるために、僕は現地に向かった。

住居であり、要塞でもある

中国南東の山間部に異様な建物が点在するエリアがある。

外界を拒絶するようにそびえたつ土の壁。一歩足を踏み入れれば、数百人が住めるほどの部屋数を持つ円形や方形の巨大な集合住宅が現れる。客家(はっか)と呼ばれる人々の伝統的な住居である。

客家とは「よそ者」を意味する。福建省に元々土着していた人々から、彼らはそう呼ばれてきた。客家の歴史は秦の時代まで遡るという説もあるが、4世紀の東晋の時代に戦乱を逃れて、中原と呼ばれる中華文明の発祥の地とされる地域から移動を始めた豪族の末裔だと言われている。

 

福建省の山間部にたどり着き、定住を開始したのは約1000年前と言われる。その後も客家は現地人と混じり合うことなく、よそ者であり続けた。

客家は定住者のほとんどいなかった山間に村を開いたが、時に起きる現地人との武力闘争や山賊からの襲撃、虎や豹などの野生動物の徘徊から自衛するために、土塀で高く囲われた、防御に強い集合住宅を作っていった。それが土楼である。

土楼の多くは4階建てになっており、外部からの侵入を防ぐために1、2階部分には窓がない。3、4階部分には小窓が設けられていて、そこから銃や弓を放つことが出来る、要塞のような作りになっている。

土楼は元来、明の時代から始まる倭寇の襲撃に悩まされていた福建省沿岸部の人々が考案し、それを客家が模倣したとも言われている。しかし、僕が回った客家の村の人々は、客家こそがこの建築を考案し、他の地域の人々が真似たのだと、逆のことを言う人が多かったのだが。