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GSOMIA破棄の衝撃…韓国・文在寅に対抗するには「攻守」が必要だ

国際法vs.歴史認識をどうすればいいか

「真相を語る」ということ

1907年ハーグ密使事件をご存知だろうか。

オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に大韓帝国(韓国)の皇帝高宗が密使を派遣し、日本が韓国の外交権を握った第2次日韓協約の不当性を各国に訴えた事件である。

各国は訴えに耳を貸さず、絶望の中で密使の一人の李儁(Yi Jun)はハーグで死亡した。事態を問題視した日本は、高宗を退位させ、1910年に韓国を併合する。

当時の日本の駐蘭大使は、「丹毒」が死因だと本省に電報した。日本の情報サイトには李儁はハーグで自殺したとするものもある。しかし韓国の情報ソースには李儁は暗殺されたと伝えるものもある。密使事件を伝えるハーグ市内のYi Jun Peace Museumを紹介するオランダの観光サイトは、李儁は「不思議な死を遂げた」と解説する。

ハーグ密使事件には、100年以上たってなお、謎がある。慰安婦や徴用工などと同じように、真相を語るには、慎重さが必要なようだ。

しかしいずれにせよ、この事件は、大きな歴史的文脈においても、現在まで続く日韓関係の構図を物語っている。

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韓国は、各国に対して、日本の非を訴える。日本は、制度的な優位を強調する。各国政府は、静観しながら、制度を維持する側につく。しかし韓国は、制度論をこえた情緒を示す。各国のメディアや市民運動を通じた国際世論は、韓国に同情的になる。

これは現在、日本が国際法に訴えて、韓国が歴史認識に訴えて、それぞれの正当性を確保しようとしている構図と同じだ。

 

伊藤博文は、当初は日韓併合に消極的だったといわれる。しかしハーグ密使事件以降の動向をふまえて、最終的には併合もやむを得ないという意見に切り替わった。実際のところ、外交権の確保だけで済ませる政策が、日本の実利からすれば最善だっただろう。だが最終的には、併合しか、事態を管理する方法がないと判断された。

日本の側もむき出しの植民地主義で韓国を併合したわけではなく、いわば情況の囚人だった。列強が朝鮮半島を狙う帝国主義時代の国際政治の現実と、煮え切らない外交権取得による日韓関係の維持との板挟みの状況の中で、判断がなされた。

歴史に「もし(If)」は禁物だというが、日韓関係に違う歴史はありえたのか。
ハーグ密使事件を思い出して感じるのは、状況を冷静にふまえたうえで、長期的な利益をふまえた管理の方法を模索することの大切さである。