人類史上最悪…犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄

知るだけで怖くなる
週刊現代 プロフィール

死ぬまで行進

この独ソ戦では、無意味としか思えない民間人の虐殺まで繰り広げられた。虐殺を担当したのは、ナチス・ドイツの有する「出動部隊」(アインザッツゲルッペ)である。

ドイツ軍が制圧した領地に入り込み、教師や聖職者、貴族、将校、ユダヤ人などを、占領軍に反抗するかもしれないという理由で殺害してまわった。

「出動部隊はなんの罪もない住民たちを、森や野原に追いたて、まとめて銃殺しました。出動部隊の手にかかった人々の数は少なくとも90万人と推定されています」

出動部隊は殺害の効率化を進めるため、射殺から毒ガスの使用へと方針を切り替えた。アウシュビッツ強制収容所のガス室の最初の犠牲となったのはユダヤ人ではなくソ連軍捕虜600人だったといわれる。

開戦当初は敗北を喫したソ連軍であったが、冬が到来すると極寒を衝いて反撃を始め、戦況は泥沼化していく。

「ソ連軍の反撃に危機感を抱いたヒトラーは『総統の許可なくして、一歩たりとも退却してはならない』という仮借ない命令をドイツ軍に下しました。

一方でスターリンもソ連軍の主力部隊の背後に、脱走兵を射殺する『阻止部隊』を配置し、前線部隊の退却を許しませんでした」

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捕虜になっても逃亡しても殺されるのだと知った両軍の兵士たちは、どんなに絶望的な状況に追い込まれようとも徹底抗戦し、戦場はまさに地獄の様相を呈していた。

戦闘が長期化するに従い、膨大な予備兵力を持つソ連が徐々に攻勢を強めるようになった。戦地に増援を次々と送り出し、砲兵や航空機によって敵の最前線から後方までを同時に制圧する「縦深戦」を展開し、一気に形勢を逆転したのだ。

形勢の逆転によって始まったのが、ソ連軍による報復だ。特に捕虜となったドイツ兵の扱いは常軌を逸しており、食料も与えぬまま、死ぬまで徒歩で長距離行軍させるなど、非人道的な蛮行が繰り返された。

「ドイツ兵捕虜は、収容所に入ってからも、破壊された建物や地下壕、天幕などで寝泊まりする状態で、重労働を強いられました。食料は水でカサ増ししたパンと、ジャガイモの皮や魚の頭、犬や猫の肉などしか与えられなかった。

夏季には野草摘みに駆り出され、それでスープを作ったものの、毒草であったため、多くの死者を出したという例もあります」

ソ連の捕虜収容所で生き残ったドイツ兵士はたったの5%に過ぎなかったという。
またドイツ兵だけでなく、ソ連国内のドイツ系住民にも、悲劇が降りかかった。

「ソ連にはヴォルガ・ドイツ人をはじめとする多数のドイツ系住民がいました。スターリンは彼らに対し、シベリア、カザフスタン、ウズベキスタンへの強制移住を命じたのです」

70万人とも120万人ともいわれる人々が、家畜運搬用の貨車や徒歩での大移動を強制され、飢えや渇き、過剰に貨車に詰め込まれたことによる酸欠で死亡した。

 

前線のソ連軍将兵の蛮行も、その残虐さに引けを取るものではなかった。ソ連軍将兵は敵意と復讐心のままに、略奪や暴行を繰り広げたのである。

「ソ連軍の政治教育機関は、そうした行為を抑制するどころか、むしろ煽りました。ソ連軍機関紙『赤い星』にはこのように書かれています。

『もし、あなたがドイツ人一人を殺したら、つぎの一人を殺せ。ドイツ人の死体に勝る楽しみはないのだ』」

やられたらやり返す、そこにあるのは、剥き出しの憎悪だ。ソ連兵青年将校が見た戦場の証言を聞こう。

「女たち、母親やその子たちが、道路の左右に横たわっていた。それぞれの前に、ズボンを下げた兵隊の群れが騒々しく立っていた」「血を流し、意識を失った女たちを一ヵ所に寄せ集めた。そして、わが兵士たちは、子を守ろうとする女たちを撃ち殺した」

戦争はここまで人間を残虐にさせるのだ。

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