「私が先生だと証明できますか?」驚きの講義、その狙い

学生に混じって教室に座り…
宮内 洋 プロフィール

「らしく見える」ことが重要?

「面白いからちょっとやってみました!」という若気の至りだけではなく、この仕掛けの背景にはゴフマンの理論がある。

アーヴィング・ゴフマン(Erving Goffman)は、アメリカ社会学会の会長も務めたことがある、社会学、人類学、心理学等の領域で今なお高く評価されている学者である。

彼は、その著書『行為と演技(The presentation of self in everyday life)』(誠信書房)の中で、「印象操作の技法」について述べているのだが、詐欺師が手の込んだ社会的舞台を設営することにも少し触れている。「舞台装置(setting)」は、パフォーマンスにおいては重要である。

さらに、「管理職にある者はよく能力があり、状況を全般的に把握しているという様子をして見せるが、彼らが現在の職にあるのは一つには彼らが管理職らしく見えるからであって、彼らに管理職らしい仕事ができるからではないという事実には自他ともに目をつむっている」(上掲訳書53ページ)などという記述もまた、さりげなくゴフマンは挟み込んだりする。おまけに、パフォーマーのみならず、オーディエンスの側もまた模範的なショーを演ずることができるようにするとも指摘している。

つまり、ここで強引に言えば、舞台装置が整っていれば、現代社会で生活する私たちは、その人が「ホンモノ」ではなくとも、信用してしまうのかもしれない。その人がどういう思想の持ち主なのかなどは問わない。「らしく見える」ことが重要なようだ。おまけに、オーディエンスはパフォーマーに協力的ですらあるかもしれないのだ。

 

当時の受講者たちはこのような受け止め方だったのかもしれない。

冬期の集中講義が開講される教室に開始時刻までに集合する。そこに登場した大人は講師であると無前提にとらえる。そして、教室内でその講師と思われる人物の話を聞く。それを「集中講義」として時間を過ごす。

果たして、それで良いのだろうか。

問われるべきは、その講義の内容ではないだろうか。

このことに気づいてもらうために、通常のパフォーマンスに、私はあえて亀裂を入れてみたというわけである。