「私が先生だと証明できますか?」驚きの講義、その狙い

学生に混じって教室に座り…
宮内 洋 プロフィール

若造なりの戦略

2000年の年末に、琉球大学で開講された集中講義。

科目名は「社会科学総論」。畏れ多くて、30代の若造は引き受けられない科目名だ。当時の私は求職中の身。依頼された講義のお仕事はすべてお引き受けしていた。断ったら最後、常勤職に就けなくなると怯えていた。若造なりに稚拙ながら戦略はあった。

四日間を以下のようなテーマのもとに講義をおこなった。

第一日目(2000年12月25日クリスマス!) “「藪の中」に連れて行く”
第二日目(同年12月26日) “情報化という新たな「藪の中」”
第三日目(同年12月27日) “「藪の外」からの訴え”
第四日目(同年12月28日) “「藪」からの脱出方法の模索”

先に述べた小説「藪の中」を中心に据えながら、社会をどこからどういうふうに見るのか、それによって社会の見え方も変わることを論じた。

そして、ある領域で設定された社会問題も「藪の中」の様相を呈するが、意図的に、あるいは非意図的に「藪の中」から除外されている“声”があることもまた論じた。

さらに、「社会科学」を論じる際に、その論者は社会のどこにいるのか、論者は社会システムの外に出て、まるで“神の目”、もしくは“宇宙人の目”を持って語ることが本当に可能なのかという疑問も青二才の私の頭の片隅にあったと思う。講義の流れの中で、種々の研究方法もまた説明していった。

 

私は、1993年から大学や短大で非常勤講師として教える側に立ち始めた。少し通っていると、非常勤先の大学や短大で知り合いができ、講義前などには教室や非常勤講師室には誰かが遊びに来ていたりした。

だが、この琉球大学での集中講義では、私のことを誰も知らない。つまり、自分の顔が「面割れ」していない。このチャンスを何かに使えないだろうかと考えた。そこで、講師である私は、この集中講義の受講生の振りをして、教室に紛れ込んでおくことにした。

それが冒頭の部分だ。

おそらく打越さんは俄然盛り上がったのだと思う。2000年も暮れようとする時期に、さらにはクリスマスの日に教室内が「予定調和の消化試合」ではなく、本気モードになっていったのだと思う(教員の側からそう見えただけかもしれないが)。

冒頭は、この四日間の集中講義の始まりの部分だけを、私の視点から再現してみたものだ。