「私が先生だと証明できますか?」驚きの講義、その狙い

学生に混じって教室に座り…
宮内 洋 プロフィール

先生かどうかわからない人

この「現代ビジネス」に、打越正行さんが「『先生かどうかわからない人』が教えてくれた他者への想像力の磨き方 いまも忘れられない大学の講義」というエッセーを書いている。なかなか評判が良かったようで、アクセスも多かったようだ。

この「先生かどうかわからない人」というのは、私のことだ。

ヒット曲にはアンサーソングがつくられることがあるが、このエッセーはアンサーソングのように、当時の講義の様子やその後日談について、教員の側から書かれたものだ。

現在『ヤンキーと地元』(筑摩書房)が大評判の打越正行さんとの出会いは、忘れもしない。2000年のクリスマスの日に、琉球大学での集中講義で出会った。その様子は、打越さんの先のエッセーにも詳しく書かれてある。

人の縁とは不思議なもので、ある出会いによって大いに人生を変えてしまうことがある。打越さんは年末のこの集中講義を受講しなければ、今頃は沖縄県で中学の数学教師として働いていたのではないだろうか。

2000年暮れの集中講義で「フィールドワーク」を詳しく知り、その魅力に取り憑かれたようで、その日のうちに、コンビニ前のバイクを置いてだべっていた若い人たちにいきなりテープレコーダーを持ち出してインタビューをしたほどだ。

忘れもしない。翌日に、興奮気味の彼が、私のところにこの話を持ってきたからだ。これが彼の原点となったのかもしれない。

 

「藪の中」問題

さて、芥川龍之介の短編に「藪の中」という作品がある。とても短いので、速い人ならば15分もかからずに読めるかもしれない。

この短編を主の原作として黒澤明監督が映画を撮り、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。ここから話がややこしくなる。

一つの事象についての各人の証言が異なっていて、何が《真実》なのかがわからなくなってしまうというのが小説「藪の中」のミソなのだが、先のように黒澤明監督が映画化した際に『羅生門』という題名をつけたものだから(芥川龍之介の短編「羅生門」の内容もまた映画には含まれている)、この混迷する状況が、「藪の中」問題ではなく、「羅生門」問題として知られることになってしまった。

小説「藪の中」が示唆するように、ひとつの事象も視点が異なれば、その見え方も変わり、生まれる物語もまた変わってくる。

打越さんのエッセーに代わり、「先生」であった私の側から当時の講義について述べたのが、このエッセーというわけだ。

打越さんの先のエッセーがよほど面白かったのだろうか、どのような講義だったのかと、実際に質問をするためにご連絡をくださった高齢者の方もおられた。興味をお持ちの方は他にもいらっしゃるかもしれない。