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不安と不眠…近代日本の文士たちは「薬物」とどう付き合っていたか

芥川、太宰、そして…
近代日本の文士のなかには、不眠や不安から薬物を使用したものが少なくない。当時は、現在と薬物を取り巻く環境が大きく違ったわけだが、文士たちはどのような社会的背景、そして人生の苦悩のなかで薬物を用いたのか。薬物という切り口から文学を見る、文筆家の木澤佐登史氏による考察。

創作者は薬物とどう向き合ったか

Netflixのドキュメンタリー『テイク・ユア・ピル:スマートドラッグの真実』には、向精神薬をスマートドラッグ代わりに服用する海外の若者たちが登場する。彼らは、後期資本主義のスピードから振り落とされないため、そして目の前に積み上げられた膨大なタスクを処理するために薬物の力で自らを「加速」させる。

翻ってここ日本でも、似たような光景が、しかも一見薬物とは関係のなさそうな領域でかつて頻繁に見られていた。その領域とは文学である。

日本の近代文学は薬物とともにあった、と言って良い。睡眠薬、阿片、コカイン、ヒロポン、等々。その多くが当時は合法的に手に入った。現代の日本とは薬物を取り巻く環境が大きく異なっているわけだが、文士たちはそれらの薬物を、ときには創作のためのスマートドラッグとして、ときには自我の不安を抑えるため、ときにはアルコールと薬物による酩酊状態のなかで何かを「幻視」するために用いていた。

この記事では、創作者と薬物の関係を、日本の近代文学者を例にとって見ていきたい。

芥川の不眠

晩年の芥川龍之介が重度の神経衰弱に陥っていたことはよく知られている。わけても深刻だったのが不眠症であった。大正十五年(1926)一月二十日の佐々木茂索宛の書簡では、「二晩ばかり眠らずにいると、三晩目には疲れて眠るには眠るが、四晩目は又目がさえてしまう」と不眠の苦しみを訴えている。(『芥川竜之介書簡集』石割透 編、岩波文庫)

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この頃から、芥川は歌人で精神科医でもある斎藤茂吉に睡眠薬の処方を頻繁にねだるようになる。斎藤が処方した睡眠薬のうち、代表的なものはベロナールで、いわゆる「バルビツール酸系」の睡眠薬に含まれる。

作用は強力で、当時不眠症に一般的に用いられていた抱水クロラールの約二倍の効力があった。だが一方で耐性がつきやすく、依存や致死量に至る過剰摂取を引き起こしやすいなどのリスクも多く、現在はこれらのリスクを改善した「ベンゾジアゼピン系薬」によってほぼ取って代わられている。

 

芥川はこのベロナールを常に懐に入れて持ち歩き、誰彼構わず人に分け与えていたらしいことを広津和郎が『同時代の作家たち』(岩波文庫)の中で証言している。広津も芥川からベロナールをなかば強引に勧められたが、断っている。

この芥川の習性の被害者のひとりに菊池寛がいる。宇野浩二の回想(『芥川龍之介(上)』宇野浩二、中公文庫)によれば、当時不眠症を訴えていた菊池寛に芥川は例によってジアールというバルビツール酸系の睡眠薬を分け与えたという。ところが、菊池は薬は飲めば飲むほど効くと思うような男だったので、一錠で済むところを七錠も飲んで危うく死にかけた、という話を芥川は宇野に聞かせて、「例の茶目らしい笑い方をした」というのだが、もちろん笑い事ではない。