〔PHOTO〕iStock

〈国民感情〉を理由に「表現の不自由展」が批判される日本の危うさ

ナショナリズムはいつ悪質になるのか

海外作家たちからの抗議が噴出

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示が中止となって、2週間ほどが過ぎた。

この間、参加作家72組による声明発表(8月6日)、韓国2作家の展示取り下げ(同日)、脅迫FAX犯の逮捕(8月9日)、「表現の不自由展・その後」実行委員会による展示再開申し入れ(8月13日)、展示中止に抗議する海外9作家が展示の一時取り下げを要求(8月14日)、脅迫メール770通について被害届提出(同日)、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」第1回の開催(8月16日)などの動きがあった。

この中でもっとも重要なものを一つ上げるとすれば、やはり14日の海外9作家による展示一時取り下げ要求だろう。これは「表現の不自由展・その後」中止に抗議し、それが再開されるまでの展示取り下げを求めたものだ。

この要求が記された公開書簡は、6日の時点ですでに展示を取り下げていたイム・ミヌクおよびパク・チャンキョンの韓国2作家に加え、ウーゴ・ロンディノーネ、タニア・ブルゲラ、モニカ・メイヤーといった重要作家がサインした(その後20日に一部作品を除いて展示中止や変更が行われた)。

 

そしてこの公開書簡は、「表現の自由は重要だ(Freedom of expression matters.)」という言葉で結ばれている。これは一見当然のことを言っているようだが、現在の日本においては必ずしもそういうわけではない。実際、まさにこの展示取り下げ要求を受けてあいちトリエンナーレの企画アドバイザーの辞任を表明した批評家の東浩紀は、twitterで次のように書いている。「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています」

「表現の自由は重要だ」という立場からの展示の一時取り下げ要求を受けて、「表現の自由は偽の問題だ」という主張が出てくる。なんとも理解の難しい展開だが、しかしはっきりしているのは、「表現の自由は重要だ」という主張は、この2週間の「議論」を経てなお、今の日本において当然のもの、みんなが共有するものとして前提にすることはできないということである。

とはいえ、ここで「表現の自由は重要だ」ということをあらためて繰り返す文章を書くつもりはない。むしろここで考えたいのは、今回の事件について「表現の自由は重要だ」で話を終えられないことの背後に、いったい何があるのかということだ。

「国民感情を害する」という論拠の危うさ

ここで手がかりとなるのは、今回の事件の発端の一つ、8月2日の河村たかし名古屋市長の「表現の不自由展・その後」視察後のぶら下がり取材である。河村市長はこのとき、キム・ソギョン/キム・ウンソン《平和の少女像》について、「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」だから撤去されるべきだと述べた。

彼は記事になっていない部分で表現の自由という原則そのものに反対するつもりはない旨何度も述べているが、しかし河村市長にとって、「日本人の心を踏みにじる」ことは「表現の自由」をはるかに凌駕する問題なのだ。