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# 哲学 # 資本主義

社会って、本当にこうでしかありえないの?

哲学が教えるゼロから見直す方法
8月20日に発売された荒谷大輔著『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)。本日はその序文を特別公開。現代資本主義社会の閉塞を突き破るヒントは、ロックとルソーの対立にあった!?

「社会なんてそういうもの」なんてことはない!

「社会とはそういうもの。みんな同じルールでやっているのだから、こうやって生きてい くしかない」。

そう思っている方も多いのではないでしょうか。ときに非常に厳しい環境に置かれることになっても「いやだからやめる」なんてそう簡単にはいえません。「社会的不正」のようなものもたびたび問題にはなりますが、自分には日々やらなければならない仕事があるのでメディアが代わりに叩いてくれるのを眺める程度、自分が直接「社会のルール」の部分に関与することはほぼない、というのが一般的な生活であるように思われます。

しかし、「この社会」のルールに則って生きることは、それなりに厳しいものになってきています。その人の社会的な立場によって感じ方が異なることだとは思いますが、一般的にいって一九八〇年代以降、年を追うごとに「この社会のルール」が厳しくなっていることは確かだといえます。

この本の執筆時にもちょうど経団連会長の中西宏明氏が「正直いって、経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです」と発言し話題になりました(二〇一九年四月一九日)。

こうした変化を「実力に応じた待遇の実現」ということでポジティブに評価することもできるかもしれません。しかし、個々の労働者にかかる「生産性向上」の圧力の強さが以前と比べて高くなっていることは、客観的に認められることだと思います。

かつては確かに「生産性の低い人材」を抱えてなお実際に企業が成長できていた時代がありました。しかし、その時代は過ぎ去り、個々の労働者が自らの生き残りをかけて生産性を上げなければ、経済自体が回らない状態になっているのです。

繰り返しますが、そうした状態を「各人が活き活きと輝いている社会」とポジティブに評価したい人をあえて否定しようというわけではありません。しかし他方で、そうした社会の変化を「それ以外にはない」という理由で望まず受け入れている人の数もそれなりに多くなっているようにも見受けられます。

「それが社会というものだ」といいながら、積極的には歓迎しないものを仕方なく受け入れている人がいたとすれば、「まったくそんなことはない」とその人に伝える必要がある。それが本書を世に出す意味になります。「この社会=社会」ではないのです。