首都直下地震が起きたら! 関東大震災の「火災と揺れ」の恐怖

10万5000人が死亡した現場を見よ
武村 雅之 プロフィール

東京・横浜を去る避難民

政府は、大きな被害を受けた東京・横浜からできるだけ多くの人を地方へ避難させます。関東大震災が起きたのは9月1日ですが、9月20日ぐらいまで、汽車賃を無料にし、救援物資を積んできた船にも無料で人を乗せた。約100万人が9月中に東京・横浜を出ていったという記録が残っています。

汽車に乗るのを待つ人々(関東大震災時)

日本は大正9(1920)年に近代国家になって初めて国勢調査をしました。そのときの経験を生かして関東大震災後の11月15日に国勢調査的なことをしました。

天皇陛下が羅災者のために1000万円、今の価値なら約500億円を下賜されました。唯一それが一般庶民に現金で配られたお金です。

 

これを配るべき人がどこの県に何人ぐらいいるかを把握しなければならない。それが、11月15日の調査の一番大きな目的だったと最近わかってきました。人口が減少したところは、東京市と横浜市と神奈川県の郡部で、合計約77万人減少しています。このうち約10万人が死亡しています。また全被害者のうち約80万人が被災地から県外に移動しています。

一番人が増えたところは東京府の郡部で、約32万人増えています。被災地に近くて比較的被害が少なかった場所だからです。被災地以外では、大阪が約3万4000人、栃木や新潟は2万人以上、愛知県でも約2万3000人が被災者として暮らしています。沖縄でも約1600人、北海道だと約1万人近くが暮らしている。そういう状況が地震から2か月後にあったということです。

ちなみに東日本大震災では、各県内で移動した人も含めて2カ月後で約20万人が移動しています。しかし、関東大震災のときに比べて正確な調査がなく、そういう意味では現代のほうが、大正時代より遅れている部分があるのです。

東京での火災と揺れ

東京の火災はどういう形で起こったか。9月1日の11時58分に地震が起こり、火災はその時点から発生し、3日の10時ぐらいに一応鎮火しますが、その間ずっと燃え続けました。

黒煙に覆われる空(関東大震災時)

9月1日の夕方までに燃えたところは、隅田川の東側、今の江東区や墨田区と、浅草より北の方です。隅田川より西側の水道橋から神田と神保町あたりも焼けましたが、ここは揺れが大きかったこともありましたが、辺りは江戸時代に大池という池があったところを埋め立てた地域で、地盤が悪くて多くの家が潰れたからです。東京の中央区、銀座や日本橋はほとんど家が潰れていません。しかし後で他の地域から飛び火して燃えています。

地震が起こると、どこでも火災は起こりますが、普通は人が消します。ところが家が潰れると、人が下敷きになり、火も消せずに延焼火災になってしまうのです。

一旦燃え出すと、燃えるものがなくなるまで消えないのが火災です。

今は「地震が起こったときには、やけどをするから急いで火を消すな」と言いますが、消したほうがいいと私は思います。延焼火災になったらたくさんの人が死ぬのです。

家が潰れることと火災は関係があります。延焼火災を防ぐにも、耐震設計が必要です。それが、関東大震災後に耐震基準ができた一番大きな理由です。我々は今、その恩恵を被っているわけです。

9月1日の夕方ぐらいまでに、警視庁が各警察署の管轄で何軒家が潰れているか調べています。大正9年の国勢調査と合わせると全壊率がどれくらいかがわかるので、震度分布を出すことができました。

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