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私たちは戦前を本当に知っているか…落書から見えた「反戦」のリアル

特高警察は便所の壁まで監視していた

「戦前」をどこまで知っているか

2019年8月現在、言論・表現の自由、またそれに連なる歴史的問題について意識する機会は多くなっている。

例えば、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」(少女像や天皇に関する作品を展示)の開催中止問題に関する議論は今も続いている。また、現在を「戦後」ではなく新たなる「戦前」と捉える識者も見かける。

2010年代に入り、特定機密保護法や共謀罪(改正組織的犯罪処罰法)など、様々な議論を呼びつつも強行採決された法が相次いだことは、確かに1920~1930年代的な社会情勢を予感させるかもしれない。

ここで言論・表現の自由が封じ込められていた過去を振り返ること、特に政治的・国家的な出来事だけでなく庶民がどうしていたかも知ることは、大きな意義があるように思える。

「戦前」、特に1931年(昭和6年)の満州事変以後という時代を、我々はどこまで知っているだろうか。

例えば治安維持法や不敬罪などの法令、プロレタリア小説家・小林多喜二の拷問死、キリスト教徒始め宗教者に対する様々な圧力、日中戦争がはじまって以後の「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「パーマの方お断り」などの標語の写真……これらも重大な出来事である。

しかし、人口の9割を占める一般の人々が何を考え、そして普段の生活においてどこまで規制や弾圧が迫っていたのだろうか?

 

ひそひそ話や便所の落書まで記録され…

特別高等警察は、1929年(昭和4年)または1930年(昭和5年)より、内部資料として『特高月報』を出版し、共産主義・無政府主義、国家主義(右翼)、農本主義、宗教、水平運動(被差別部落)、朝鮮人・台湾人、外国関係……と、当時の政治的な運動ほぼすべての監視記録をまとめていた。

1935年(昭和10年)頃の共産党壊滅、その翌年の2.26事件など、社会情勢に合わせて特高の活動そして特高月報の内容配分も変化したが、その中でも1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件(日中戦争勃発のきっかけ)発生直後に、所謂庶民の反戦的な「活動」とそれに対する摘発を掲載する欄が登場する。

堂々とした反戦の叫びから、ひそひそ話、便所の落書まで、庶民の本音と空気が「特高月報」を通じて今に伝わっている。

また注目すべきはその掲載開始時期で、盧溝橋事件の時点では未だ今後の情勢がどうなるか、果たして現地軍で休戦するのかそれとも(史実の様に)より大きな戦闘、ひいては全面衝突状態に繋がるのかも不明な内から、庶民は戦争を感じ取っていたことが分かる。そして特高警察もその摘発を通じて最も早く庶民の「不安」に向き合う組織となったのである。

今回は特に反戦的な落書に注目して、戦時中の庶民が抱いていた心理の一端に迫ってみたい。