香港人が本気で「自由」を渇望する一方、日本人を待ち受ける暗い未来

中立思考が日本の言論をダメにする
阿古 智子 プロフィール

フェア(公正)かニュートラル(中立)か

大学院以降、米国で教育を受け、欧米メディアで働いている中国大陸出身の友人は、米国から香港情勢を踏まえて米中関係などを報じている。彼女は、自分のソーシャルメディアのページに、このように書いていた。

“Wish I were covering HK on the ground. But sometimes taking a step back shows a greater picture. (中略)My fellow journalists, keep calm and carry on. Check facts. Pay attention to details. To observe, research, question and inform. Be fair but not neutral.”
日本語訳「私も香港の現場で報じられたらよかったのにと思う。でも、一歩引いた方が、より広い視野を得られることもある。ジャーナリストの友人たちへ、冷静に、報道を続けてください。事実をチェックし、細部に注目してください。観察し、研究し、問いを投げかけ、人々に知らせるために。中立ではなく、公正であってください」

「ニュートラル(中立)ではなく、フェア(公正)である」ということがいかに重要であるか。私も彼女の観点に深く共感する。

人間は誰一人として立ち位置が同じであることはない。皆それぞれ異なる位置にいて感じ、考えた結果得られた見方を表現するのだから、人間が完全に中立で居られるはずなどない。そうではなく、フェア(公正)であるかどうかを常に確認することが重要ではないか。

 

具体的にいうと、特定の政府機関や企業などと癒着するなどし、権力の監視を怠ってはいないか、力を不当に利用して自らの主張を行なってはいないか、弱者の視点に立つ努力が続けられているか、といったことを確認するのである。

人類の歴史や社会について学ぶ場においても、自分の関心や好みに応じてモノを見ようとするだけではなく、異なる立ち位置にいる人たちが、どのような主張を展開しているのか、それはどうしてなのかを多方面から捉えることによって、自分の立ち位置をより明確にすることができる。

〔PHOTO〕iStock

筆者は昨年10月、この現代ビジネスのサイトで、「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感:行き過ぎた政治タブー化の副作用」という文章を書いた。

大学の現場や小学生の息子の通う学校での教育を通して、教育現場における行き過ぎた政治のタブー化が青少年の思考力を低下させていることを痛感してのことだ。

筆者は現代中国を研究しているが、言論空間を厳しく制限している中国は、表向き国の統制が行き渡っているように見えるが、実際はそうでもない。

中国では貧富の差が非常に大きく、社会保障制度も日本のようには整っていないことから、人々の間では、「自分のことは自ら守らなければならない」というメンタリティーが浸透しており、法律や規制の隙間を縫うようにして、活動の自由を確保しようとする人も少なくない。

中国の一部地域で民間の活力がイノベーションを成功させているのは、そういった背景もあると考えられる。