DS、Wiiの生みの親“岩田さん”〜任天堂元社長「異才の履歴書」

「発言録」刊行で話題に
渡邉 卓也 プロフィール

クリエイターから経営者へ

岩田氏は高校生のころ、ポケットプログラム電卓に出会う。これは名前のとおりプログラムができる電卓のことで、それでゲームを作ることに熱中したという。そして大学時代、パソコン売り場に通い詰めてプログラム仲間たちと知り合い、そのことがきっかけでHAL研究所という会社に所属することになった。

同社は現在も有名な、『星のカービィ』シリーズなどを手掛けているゲーム会社。前述の『大乱闘スマッシュブラザーズ』もこの会社から生まれた企画である。

任天堂の元社長・岩田聡氏/Photo by gettyimages

HAL研究所に入社した岩田氏は、そのうち任天堂から発売されたファミリーコンピュータに興味を持つことになる。そしてゲームソフトのプログラムを請け負い『ピンボール』や『ゴルフ』などを手掛けるが、岩田氏が32歳の時に事態は大きく変わる。会社が経営危機に陥ってしまうのだ。

しかし、幸運なことに「岩田が社長をやるなら助ける」という援助者が現れたという。こうして1993年にHAL研究所の社長となるわけだが、もともと開発畑で働いていたこともあり、実は経営とはあまり縁がなかった。それでも見事な手腕を発揮し、15億円あった負債を6年間で返済することに成功する

こうして岩田氏はクリエイターから経営者への転身を遂げた。その後、任天堂の元・代表取締役社長である山内溥(やまうち・ひろし)氏にその腕を買われ、2000年に任天堂の取締役経営企画室長になる。2年後には代表取締役社長に就任することになるのだが、これは予想を裏切る異例の人事だったという。

 

その後の活躍は前述のとおり。岩田氏は「ゲーム人口の拡大」をテーマとして掲げニンテンドーDSやWiiといった大ヒット商品を世に送り出す。「Nintendo Direct」という情報番組にも自ら出演しており、ゲーマーからも“いわっち”の愛称で親しまれていた。しかし、Nintendo Switch(当時はNXというコードネームであった)の開発中に亡くなってしまう。