小麦はなぜ粉にして食べるのか? 粉が導く"麺"という魅力

進化と食の歴史から小麦麺を読み解く
山田 昌治 プロフィール

小麦の伝播と食べ方

さて、小麦のクリーズが進化の過程で獲得した器官であると推測したが、小麦を食品としてみた場合、皮部は何とも風味の悪いものである。

野生種の小麦を食べはじめた当時の人々も、なんとか皮部を除去できないものかと考えたに違いない。米は周囲の皮部を削ることによって除去できるが、小麦の場合は周囲の皮部を削るだけではクリーズの皮部が残ってしまうため、精米工程のように表面の皮を削るだけの工程では目的を達成することができない。そのため、少しずつ砕いては、皮部と胚乳部を分離するプロセスが開発された。

小麦の栽培が始まったメソポタミア文明の時代には、小麦を種子ごと粥状にして食べていたと推定されている。時代が下って、エジプト文明の壁画には、サドルカーンと呼ばれる石でできた粉砕器で穀物を粉砕している様子が描かれていることから、この時代には小麦を粉砕して、皮部と胚乳部を分離して食べる習慣が成立していたと推定される。

厳しい環境に適応して進化した小麦は、どんどん各地に広がっていった。まずヨーロッパ方面へは、約8000年前にアナトリア(現在のトルコ)を経由してギリシャへ上陸。それから1000年かけて、バルカン半島を経由してドナウ川を遡上する経路と、もう一つ、イタリア、フランス、スペインを横断する経路で伝わり、最終的に約5000年前に英国とスカンジナビア半島に達した。

【写真】古代ユダヤの製粉道具
  イスラエルで発掘されたユダヤ人のシナゴーグ跡から出土した小麦の製粉道具 photo by gettyimages

反対方向は、シルクロードに沿って、イランから中央アジア、最終的に約3000年前までに中国に達した。またエジプトを経由してアフリカ大陸にも広がっていった。

大西洋を越えたのは比較的最近である。スペイン人によって1529年にメキシコへ、イギリス人によって1788年にオーストラリアに伝わった。

わが国へは、今から約2000年前の弥生時代の遺跡から炭化した小麦が見つかっていることから、弥生人は米とともに小麦を食べていたものと思われる。中国への小麦の伝播と1000年ほどの時間差があるが、伝わったのはこの間であると考えられる。

世界各地へ広がるとともに、食べ方にも変化が現れた。前述のように小麦の皮部は臭気があり食べにくいため、皮部と胚乳部を分離する必要があった。

小麦粉製造の観点からいうと、一気に小麦粒を粉砕すると皮部も胚乳部も細かくなり、両者を分離することは不可能となってしまう。そのため、最初の段階では、皮部は細かくならず、胚乳部も大きな粒のままで、皮部と胚乳部を分離するだけの粉砕を行う。

その後に篩(ふるい)を用いて、皮部と胚乳部を分離し、分離された胚乳部(まだ皮部が残っている)をさらに粉砕して、篩い分けるという操作を繰り返すことによって、できるだけ皮部の残存しない小麦粉を得るようになった。

サドルカーンを用いて砕くことから始まり、石臼を経て、19世紀半ば以降、粉砕法として一度に多量の小麦を粉砕できるロール式粉砕機が実用化され、さらに皮部と胚乳部を空気力学的に分離する純化装置が開発されたことにより、近代製粉法が構築された。

粉から食品へ

サドルカーンで皮部を除いた粉を湯に入れて調理したところ、粘り気と弾力性のある塊ができることを人類は発見した。それは「すいとん」のようなものであったろう。それをいったん取り出して窯で焼いたところパンのようなものができた。人類による無発酵パンの発明である。

【写真】粉に挽き、湯に入れて粘り気を出し、やがてそれを窯で焼くようになった
  粉に挽き、水を加えて捏ねて、粘り気を出し、窯で焼くようになった photo by gettyimages

やがて人類は、その塊を取り出して、いろいろな形状に加工して食べるようになる。なかでも細長くすると食べやすくなり、また、スープと絡めて食べられるためおいしくなった。人類による麺の発明である。

我々が今日、パンや麺を愛好できるという事実が、小麦という植物が高原の砂漠という厳しい環境で進化してきたことと密接に関係しているというのはたいへん興味深い。人類と麺のかかわりの多様性や科学的側面については「麺の科学」にまとめた。ご一読いただければ幸いである。

麺の科学
粉が生みだす豊かな食感・香り・うまみ

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