自然に生理も排卵もなかった私が奇跡的な妊娠・出産を経て思うこと

「母になる」とはどういうことか
徳 瑠里香 プロフィール

奇跡的に宿った小さな命

産めないかもしれない=母になれないかもしれない=家族をつくれないかもしれない。

当時の私は、産むこと、母になること、家族をつくることを「=」でつなげて考えていたから、ただ漠然と、「いつか、母になる」とは思えなくなった。

同時に、私のなかに「(産めるのなら)産みたい」「母になりたい」という気持ちがあることに気づいた。

そして、10年以上、何の保証もないまま、少しの可能性を信じて、ホルモンを投与して、生理を起こす治療をずっと続けてきた。

そんななか、29歳になる頃、奇跡的に、私の子宮のなかに小さな命が宿った。

安定期に入った頃、自分の身体の事情と妊娠について、ハフポスト日本版に投稿した時(「私は、自然に生理も排卵もありません。それでも今、妊娠5ヶ月です」)、記事を読んでくれた友人知人たちが、祝福の言葉とともに、不妊治療の経験など自身の身体や家族について話をしてくれた。

それまで人に話すこともなかった自分の身体の事情をオープンにしたことで、身近にいる人たちが、自身の事情を話してくれるようになり、見える世界が少しだけ変わった。

大なり小なり、誰もが、それぞれの事情とともに、ほかの誰とも「違う」人生を生きている。

少し目を向けて耳を傾けただけでも、私の周りには、16歳で妊娠して母になった友人や17歳で亡くなった恋人を今でも大切に想う友人、産まない人生を選び自分の仕事に邁進している先輩、夫婦間で腎臓移植をしてふたりの絆を深めた友人、不妊治療の末に特別養子縁組をした知人、養子として育てられた後輩、トランスジェンダーで性転換をしてシングルマザーと結婚した友人、里親として子どもたちを育てる先輩など、自分の心と身体の事情とともに、自分の家族を築いている人たちがいる。