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米中代理戦争と化す香港デモ…人民解放軍は「弾圧」に踏み切るのか

中国は「その時」を待っている

北京語を警戒したアグネス・チョウ

2016年9月の夜、香港の議会選挙直前だった。日本にたびたび訪れる民主派の活動家の周庭(アグネス・チョウ 1996年生まれ)に、筆者は香港の繁華街、銅鑼湾の街頭で初めて会った。

バスやトラムが行き交うスクランブル交差点を「崇光(そごうデパート)」や映画館から出てきた客らが横切る。彼女はそこで応援演説を行っていた。はっきりとした物言いで、帰宅する市民たちがゆっくりと足を止めて聞き入った。

周庭本人は当時19歳で立候補年齢に達していなかった。日本語が上手い。彼らが日常的に使っているのは広東語と北京語だが、親しく話すには良いだろうと、筆者ができる北京語と日本語を交えて話しかけた。その瞬間から彼女は筆者との接触を明らかに避け始めた。

翌日行っても、また周庭が応援していた「香港衆志」の羅冠聡(ネイサン・ロー1993年生まれ)が当選した会見の場でも同じ反応だった。理由は分からなかった。だが、ひとつ心配になったのは、彼らの純粋な運動の受け皿になる権力組織は、「香港」という複雑な構造の社会にあるのだろうかということだ。

周庭 Agnes Chow Ting @agneschowting

香港デモの結末は米中戦争に…

膠着状態の今の香港に、中国本土から人民解放軍や深圳警察が鎮圧に入るという情報が流れている。そのとき、周庭や羅冠聡はどうなるのだろう。

だが本当に弾圧すれば中国自身も大きな傷を負う。香港のみならず台湾の民衆をも中国から離反させ、年明け1月にある台湾総統選挙で、独立派の民進党候補が確実に勝利する。日米欧から経済制裁も受けるだろう。

しかし1989年の天安門事件の武力弾圧のときには、4年で西側との関係が改善した。中国の市場と政治力に吸い寄せられ、世界は戻ってきた。2年後の1991年、海部俊樹総理大臣訪問が皮切りとなり、続いて英国メージャー首相が北京を訪れた。翌1992年には天皇が訪中、1993年にシアトルで開かれた初のAPEC首脳会議には中国から江沢民主席が出席し、クリントン米大統領と会談した。

 

国際社会を敵に回しても、4年も経てば世界は忘れると計算しているのだろうか。

しかし香港情勢はすでに米中の権力争いの中に置かれてしまった。もしかしたら中国はタイミングを待ち望んでいるのではないか。

米国にはデモ隊に運動をやめるよう指示を出してもらう。そして2つの大国が向き合い、改めて「一国二制度」を確認しあう。その前提として、ギリギリの極限の状態まで緊張が高め、米国までもが軍事介入の構えを見せて、ステージが一つ上の段階に行くのを、待っているのではないだろうか。