戦争に押し潰された、講談社「少年社員」たちの立身出世の夢

大衆は神である(63)
魚住 昭 プロフィール

まずハッピを止めろ──当局からの苦言

清治の存命中、講談社に対する批判は、一部の左派系雑誌などを除いて、ほとんど表に出ることがなかった。清治の圧倒的な存在感がマスコミ界を覆っていたからである。しかし、彼の没後、怪文書騒ぎや少年部ストが起きると、それと呼応するかのように外部からの批判が相次ぐようになった。天田幸男の証言。

〈社長が亡くなった後、国塩耕一郎氏(内務官僚)に会ったら、国塩氏は「講談社は少年にハッピ(アツシ)を着せている。もってのほかだ」、今の言葉でいえば“人権蹂躙”だと言うんです。「いかに少年だって、今の開けた世の中で、ハッピを着せて東京の街の中を歩かせなくたっていいじゃないか。(略)夜の夜中まで働かせるそうじゃないか。まずハッピを止めろ」と……。そのむきは(重役に)言っておきました。その後、少年諸君が服を着るようになったんですが、そういうことがひとつ(ありました)。

それから、赤羽穣さん(内務官僚)からも(会合を終えて)送っていく車の中で「天田君な、君の社でひとつ気をつけてくれよ。われわれの仲間では、君の社を非常に怪しい目でもって見ているんだ。どうも社員や少年の使い方が普通でない。そこにどうもいけない点があるようだ(略)」と言った。そのむきも高木さんに話しておきましたが、それっきりになっています。

 

それから私の友だちに細谷啓次郎という高等裁判所の判事があります。これはずっと早かったんですが、私のところを訪ねてきて「今、裁判所で判事や検事が集まると、君の社の少年の扱いが問題になっているんだ」。これは今で言えば労働基準法なんだけれど「とにかく使い方が荒すぎる。徹夜して未成年をこき使う(略)これはもってのほかだという声が出ている」という。(略)そういうような声が世間にあったんだということはありますね〉

こうした声が当の少年たちに伝わらないはずがない。過酷な労働条件を嫌って辞めていく少年が相次ぎ、少年部は崩壊の瀬戸際に瀕した。