内山さんがイスラマバードに着いたのは23日夜。彼もまた迎えの車でゲストハウスに連れていかれた。
「ゲストハウスのある地区に入るには、厳重に警備されたゲートをくぐらなければならなかった」
ゲストハウスに一晩宿泊した。
「大金を持っているのは嫌だから、すでにパキスタンに来ていたNに渡そうとしたら、直接渡してくれと言われ、5万ドルをパキスタン側の責任者に渡した」
私はパキスタンの斡旋組織と直接連絡を取り、移植費用を確かめた。パキスタン側からは「5万7000ドル」という返信があった。
翌24日午後。内山さんはゲストハウスを出てクリニックに車で案内された。
「クリニックに着いて麻酔をかけられたのか、注射を打たれたのか、ゲストハウスを出たあたりから記憶がありません」
内山さんは24日午後には移植手術を受けていた。
HLAのタイピング検査は5年前、カンボジアで移植を試みた時にすませていた。そうしたデータがパキスタン側に事前に送られていて、それに適合するドナーの腎臓がパキスタン人から買われていたと思われる。
内山さんはそれほどイスラマバードに滞在することなく、3月初旬には羽田空港に降り立った。
「パキスタンに向かう直前に徳洲会武蔵野病院では診察は無理だと知らされていたので、宇和島まで行くしかなかった」
その晩は羽田空港近くのホテルに宿泊した。
手術後、尿が出るようになったが、血尿だった。カプセルホテルで他の客に血尿を見られた。
「その宿泊客が驚いてホテルのフロントに伝えたようです。それで大騒ぎになり救急車を呼ばれてしまった」
内山さんは救急車に載せられ、東邦大学医療センターへ搬送された。しかし、差し迫った生命の危機がないことがわかると、宇和島徳洲会病院で治療を受けるように、東邦大学医療センターで言われた。
内山さんは羽田空港に着いた翌日、宇和島徳洲会病院へ向かった。そのまま入院手続きが取られた。
山川さん、内山さんの2人とほぼ同時期にイスラマバードで移植を受けた患者が他にも2人いる。その2人も宇和島徳洲会病院へ駆け込んでいる。
移植後は患者の容体を慎重に観察し、適切な免疫抑制剤を投与しなければならない。移植臓器に対してレシピエントの体内では例外なく免疫拒絶反応が起きる。移植された臓器を“異物”として免疫システムが攻撃を始めるのだ。
拒絶反応には急性拒絶反応と慢性拒絶反応がある。
急性拒絶反応には、分単位で起きる激烈な超急性拒絶反応と、日、週間単位で進行する急性拒絶、3ヵ月以降に起きる遅延型急性拒絶と3つのタイプがある。慢性拒絶反応は年単位で徐々に進行する拒絶反応だ。