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戦争礼讃の過激思想は「経済失政による国民生活の困窮」から生まれる

マクロ経済からみた太平洋戦争の教訓

国粋主義はいかにして台頭したか

この時期になると、毎年、太平洋戦争に関する様々なドキュメンタリー番組が各局で放映される。お盆休みで長期休暇という方も少なからずいらっしゃると思うが、実家に帰省してこのようなドキュメンタリー番組を見る機会もあるかもしれない。

今年も様々な切り口から日本が太平洋戦争へ突き進んでいく過程を描いた番組が放映されるようだが、8月12日に放映されたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~」は非常に興味深い内容であった。

当番組は、最近発見された「日本新聞」の記事の解析結果を元に、言論界がいかにして戦争に協力的になっていくかを時系列で追ったものである。「日本新聞」とは、あの悪名高き「治安維持法」制定に関わった小川平吉氏が創刊した右派系新聞である。

「日本新聞」は大正デモクラシー期の1925年に創刊され、10年後の1935年に廃刊となった。創刊当時、「日本新聞」は、自由主義を謳歌していた大正期において、国粋主義を主張する超少数派の集うカルト的なメディアであった。だが、10年後には、この国粋主義が国民の圧倒的な支持を得ることとなり、「創刊時の目的をほぼ達成した」として、廃刊することになる。

いったいこの10年間の日本に何があったのだろうか? というのが番組の趣旨であった。

 

この番組では、浜口雄幸首相(当時)が東京駅で狙撃され、重傷を負った1930年11月14日を歴史の転換点と捉えているように感じた。浜口雄幸は、1930年1月21日にロンドンで開催された軍縮会議で軍の反対を押し切り、軍縮条約に調印した。これに憤慨した右翼活動家によって浜口首相は狙撃され、死去した。

その後、「血盟団事件(井上準之助蔵相の暗殺)」、「5.15事件(犬養毅首相らの暗殺)」など、右翼活動家らによるテロ事件が頻発し、政党政治は瓦解していく。そして、政党に代わって、その後の日本の政治を担っていったのが軍部であった。

「日本新聞」を中心とした右系メディアは、政党政治を批判すると同時に、テロリストらに対して同情的な記事を頻繁に掲載することで、世論を転換させた。そして、この右系メディアをうまく利用しながら、世論を好戦的に誘導し、政治の主導権を奪ったのが軍部であった。

すなわち、自由主義の象徴であった政党政治の崩壊が右翼活動家のテロを契機に加速し、テロ行為を同情的に描写した右系メディアの世論誘導によって、日本は戦争への道を突き進むことになった、というのが番組の骨格であったと思われる。

そして、その一翼を担ったのが「日本新聞」であり、「日本新聞」創刊時に創刊趣旨に賛同した言論人、政治家、軍人の中から戦争を主導した人物が多く輩出されたとされる。

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