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「戦争の死者」とは誰か? いま日本人が考えるべき重要な問題

死者は“民主主義”を享受できたのか

「死者」を思う季節

日本人は夏になると、「死者」について思わざるをえなくなる。なぜならそれは、「お盆」と「終戦」というレベルが異なる二つの“行事”が真夏に行われるからだ。しかし、現在の私たちは、異常気象による灼熱の下で、十分に死者に思いを巡らせることができているだろうか。

古来日本では、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)から派生した祖霊供養である「お盆」が、新暦の7月に、あるいは旧暦に8月に行われてきた。いまでは「盆踊り」も本来は、死者の霊を慰めるため、共同体ごとに行われるものだった。

家々では、迎え火を焚いて先祖の魂を迎え、送り火とともに祖霊を送る。また麻幹(おがら)にキュウリやナスビを刺した「精霊馬(しょうりょうま)」が、お盆にあの世とこの世を行き来する祖霊の乗り物として供えられた。

現在公開中の映画『天気の子』にも、迎え火と精霊馬が印象的に映し出される。『天気の子』は間違いなく、夏のお盆を扱った映画なのである。

1945年の8月、6日に広島、9日に長崎に原爆が投下された。そして15日には玉音放送が流れ、日本人は「敗戦」を実感した。あれから74年が経ち、時代は昭和から平成、令和へと移った。そしていま、8月の6日と9日と15日は、記念日や祈念日として思い起されるものの、歳時記の一項目にすぎなくなったかのようでもある。

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加藤典洋『敗戦後論』の問題提起

いまあの戦争以来、隣国との関係が厳しい状態にある。にもかかわらず、あるいは逆にそのためなのか、戦争の死者について正面から向き合うことを、日本人は避けているように感じられる。

令和元年の現在、「太平洋戦争の日本の死者」とは、どのような死者を指し示すと人々は考えているのだろう。そこで問いかけてみたいのは、昭和の戦争における「日本の戦死者」とは、どの範囲までを指し示すのか、ということだ。

太平洋戦争における死者の問題については、今から20年程前、「日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への贖罪にいたる道は可能か」と問いかけて物議を醸し、論争を巻き起こした人物がいる。文芸評論家の加藤典洋である。