個展や本のカバー装画も多い人気イラストレーターの松尾たいこさん。32歳でデビューしてからは瞬く間に売れっ子になった松尾さんですが、実はそれまでには自信のないままに生きていたそうです。

母親との確執もあり、虚弱体質ですぐに疲れてしまう自分に自信が持てずにいたモノクロの人生。そこに少しずつ色がついていくように変わっていきました。

松尾さんが描く色鮮やかな絵のように、人生にどうやって色をつけていったのか。連載第7回は、近くに身寄りのない松尾さん夫婦が、あの震災をきっかけとして変えた生活についてお伝えします。

今までの連載はこちら

東京・軽井沢・福井の三拠点生活

私たち夫婦は今、東京・軽井沢・福井の三拠点生活を送っています。
だいたい一ヶ月のうち、東京に2週間・軽井沢に1週間弱・福井に1週間強という割合で滞在し、それぞれの場所で作品を作り仕事をし、暮らしています。

福井では現在古民家を借りています。家賃は?と思われるでしょうが、実は…… 写真提供/松尾たいこ

この暮らしを始めた頃「3つも家があるなんてすごいですね」「軽井沢に別荘ですか、うらやましい」などと言われることも多かったのですが、私たちにとっては、どの家もオフィスであり生活の場所。
好きな場所で自由に暮らしているという意識はなく、それぞれの場所が必要となり、自然とこのような形になっていっただけなのです。

絵の勉強をするために広島から東京に出てきて以来、ずっと東京が好きで他の場所に住みたいなんて考えたこともありませんでした。
超虚弱体質の私の娯楽は、ショッピングやギャラリー巡り。
運転免許は20歳の時に取得していましたが、32歳まで暮らした広島時代も含めて車の必要性を感じない生活でしたのでペーパードライバーだったし、アウトドアといえば年に数回の夫とのキャンプで十分でした。田舎は私にとって非日常だったのです。

暮らし方が大きく変わったきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災でした。

地震発生時、自宅のアトリエに一人でいた私は、経験したことのない大きな揺れに激しくうろたえ、ヘルメットをかぶり泣きながら犬と共にソファにうずくまっていました。
数時間後には夫も帰宅、家にも被害はなかったのですが、その時の恐怖が忘れられず、ニュースなどで知る被害と犠牲者の膨大さに心が塞ぎ、毎日を泣き暮らし、頭の中はみなさんと同じようにたくさんの不安と心配に支配されてしまいました。

頼れる実家がない分、
自分たちで「頼れる場所」を作る

すっかりメンタルが弱ってしまった私に夫が提案したのが、リスクを分散させるためにもう一軒、家を借りることでした。

夫はジャーナリストで私はイラストレーター。どちらもフリーランスで目黒区に一軒家を借り、そこを自宅兼仕事場として使っていました

そして夫も私も近くに身内がいません。近くでなくても頼れる身内はいません。再び大きな災害が起こり家を失った場合には、同時に仕事場も無くし、そんな時に頼る場所もなくいきなり収入源も失うことになります。

ふたつの離れた場所に家を持っていれば、災害が起きた時にはどちらかに避難すればいい、そんな考えでした。