混迷の東京モーターショー、海外メーカー撤退の「残念すぎる事情」

業界最大イベントの行方は…
御堀 直嗣 プロフィール

展示されるクルマはいずれも似たりよったりな造形。なぜなら、コンピュータで創造される外観は、いずれも効率的で省エネルギーであることが求められ、その回答は画一化されるからだ。

筆者自身、10年ほど前から、ことに横から見たクルマの姿はどれも似た造形になってきたと感じている。たとえば、4ドアセダンは屋根からリアウィンドウに掛けてなだらかな傾斜をもたせ、あたかもクーペのような姿が最近の流行のようだ。

区別するところがあるとすれば「顔つき」くらいだが、近年のクルマはなぜか大きく偉そうな顔になる。超高性能のスーパーカーはいずれも切れ長のヘッドライト。顔つきを見ても、車名がパッと浮かばないことが増えた。

苦肉の策は果たして…

電動の時代となれば、いくら高性能を競っても意味を成さない。クルマの造形や性能は行き着くところまで行っており、それらを支えているのがコンピュータなので、前述の通り、“クルマの正解”が一つに集約されていく。結果、モーターショーで競うべきものがなくなってきているのだ。

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そうした催しに、自動車メーカーが何千万円、何億円という投資をする意味がないのは一目瞭然だ。

それよりも、商談の場となりえる催しを自動車メーカーごとに行った方が、1回の予算が少なく、かつ販売実績に直結する。また、商談の場で消費者の嗜好を調査することもできる。モーターショーの会場で人ごとのように語られる解答より、もしかしたら購入するかもしれないという目的をもって来場する消費者の声の方が現実的だ。

あらゆる面で、少なくともクルマ先進国の地域では、モーターショーは意味を失っている。

今年の東京モーターショーでは対応策として、来場者参加型のイベントを例年より多く行う予定のようだ。もはやそれはモーターショーではなく、アミューズメントかテーマパークであろうこれを成功させるカギは、残念ながら自動車メーカーには無いと筆者は考える。

 

自動車メーカーではなく、人を楽しませることのプロであるサービス業でなければ、こういったイベントは成功しない。むしろ自動車メーカーは、そうしたサービス業の人たちの価値観を、舞台裏に下がって学ぶべきだ。そして、将来的な共同利用など、クルマを所有することから利用することへ転換していく際の知恵を手に入れることに専念した方がいいのではないだろうか。