原爆を体験した人から
直接話を聞ける、最後の10年か?

今、被爆から74年を迎えて、当時子供だった人たちも80代になっておられます。私たちは、原爆を体験した人から直接話を聞ける、最後の十数年を過ごしています

もっとつらい体験をした方もいるのに、私なんかが?とずっと逡巡していましたが、体験者から直接話を聞いた人は、必ず伝えるべきなんだと思うようになりました。被爆した叔父や叔母が死に、特に、2009年に多発性のがんと闘いぬいた叔父が亡くなって、決意のようなものが生まれました。

2019年の夏、長崎にて 写真提供/山脇りこ

以来、SNSやブログで手軽に発信できるようになったこともあって、毎年8月9日に何かの形で発信するようになりました。

わたし自身も50歳になり、体験者から直接話を聞けた世代も、高齢化していくと感じています。

今、都市を丸ごと破壊する“実用性のない核兵器”よりも、小型の核兵器の開発がすすめられていると聞きます。使い勝手のいい核兵器。

やっぱり、ニンゲンは、救いようのない愚かな生き物なのかもしれません。

何の因果が、唯一の被爆国で福島の事故がおきました。70年以上たった今日も人が死に至る、核兵器の真の恐怖を知る唯一の国です。いま起きていることに、慣れても、なめてもいけない。今だけの問題ではないと、知っている私たちだからこそ。

8月9日の長崎はなぜかいつも晴れています。雨の原爆の日は、私の記憶にはありません(雨の日もきっとあったのでしょうが)。

いつも真っ青に晴れあがり、ものすごく暑い。満開の夾竹桃と狂ったようなセミの声。叔父が「夾竹桃の花はすかんねー(嫌い)」とよく言っていました。あの日もこんな暑い日で、セミが鳴き、夾竹桃が満開だったのです。

私たちは、微力だけど無力ではない。東京に原爆資料館をつくりたいと思いながら、戦争が普通に暮らす人々に強いる犠牲と、与える苦しみを、小さな声でも語り続けたいと思います。

1945年8月9日。この日の長崎は、朝から快晴だったと、当時の天気図にも記録が残されている。夾竹桃は空に映えて美しかったことだろう Photo by iStock