姉を探しに行った弟。

58歳で白血病に倒れた叔父は、厳しい人でした。うちは、毎日、叔父や叔母が出入りし、みんな近くに住み、朝に夕にいっしょにごはんを食べるような家でした。叔父は、雨でも雪でも、毎朝出勤前に、仏壇と神棚に手を合わせにうちに寄ります。私はよく、新聞をばらばらにして「新聞は1面からよむと!ばらばらにするな!」とがっつり怒られました。ゴルフ好きで、私がゴルフを始めると言ったら、黙ってなじみのショップに連れて行ってくれて、ゴルフシューズを選んだ日のことは忘れられません。寡黙だったけど、優しかった。

8月9日のその日、中学生だった叔父はうちにいました。爆心地から2.5キロほどのところ。ものすごい光の後、一転にわかにかけくもり……空は真っ黒になったそうです。

いつもと違うただならぬ状況に、学徒動員されて、茂里町(爆心地から1キロほど)の三菱の工場に行っていた姉のことが気になります。

駅に続く大通りは、真っ暗で人もいない、路面電車もない。恐怖にすくみそうになります。でも、この路面電車の軌道を歩いていけば、姉のいる工場にたどり着く。叔父は軌道の上を歩いて、むかったのです。そうとは知らず、爆心地に向けて。

茂里町の工場にいた姉である叔母は、死ぬまで忘れられない光景を目にしたそうです。

その日も、時間交代で昼休みをとっていて、ちょうど最初の班が、工場の前の空き地でバレーボールをしていました。激震と光の後、しゃがみこんでいた叔母が、気がついてみると、外にいた全員が消えたように見えたそうです。よく見ると真っ黒い塊になっていた。焼けた匂いが鼻を突き、悲鳴とうめき声が聞こえ「外にいたら、死んでたね」と、何度も聞かされました。

叔母も、ともかく家に帰ろうと思い、何時間たったのかわからないまま、真っ暗な電車道を歩きました。「地獄を見ることがあるなら、あれ」。真っ黒な雨が降っていたと言います。これは多くの人が証言していますが、井伏鱒二さんの『黒い雨』さながらの真っ黒な雨が本当に降っていたそうです。

原爆炸裂時のすすなどを含んだ重油のような「黒い雨」が降ったという。井伏鱒二のこの小説は、今村昌平監督によって映画化された

そして、電車の軌道の上で、姉と弟はばったり会いました。奇跡的に。言葉もなく、すすけて真っ黒な二人は、泣きじゃくりながら抱き合った。この話は、兄弟姉妹みんながよくする感動的な思い出です。

でも、これがいけなかった?直後に電車の軌道を爆心地へ向かったことが、のちの白血病につながったのか?叔父は反芻します。

「もし、この病気に原因があるとしたら、そうかもしれん。あの爆弾が、特別なものだということは、結局、1、2年後くらいまで、どうかねー、もっとかね、とにかくようわからんやったけんね。その後に知ったことでぞっとしたけど、それは、ほんと、だいぶ後から知ったこと」

のちに、叔父は大学へ行き、役所に勤め、結婚し、楽しく、忙しく、いわば普通の人生を送ります。原爆のことなんて話すこともなかった、58歳のその日まで

叔父が白血病で入院することになった時、祖母(叔父の母)のところにそれを告げに来ました。祖母には真実は言わないと家族の間で決めていました。だから、叔父は、「ちょっと検査で入院する。」と告げたのです。すると祖母は叔父の手をしっかりと握り、涙をいっぱいためて、「あんたは、遠かところに行くとね……」と言いました。

発病から2年。叔父は60歳で亡くなりました。