「遊んでばかりいて心配」という方へ

そんな話をすると、「子どもが勉強しなくて、遊んでばかりいて心配になる」と言われがちですが、この声に対して、ぼくは二つの答えを持っています。

ひとつは、「遊び」にも学びの要素が多く含まれていることを、ぼくたち大人は忘れてはいけません。

ぼくたちも当然子どもの時代があったわけです。「遊びたい」という気持ちが爆発していた時代を思い出してほしい。子ども時代の、大人が介在しない「遊び」というものは、子どもたちが自らルールを決め、自ら遊びを創造し、トライ&エラーを繰り返して改善を繰り返していきます。 

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「たかが遊び」と思ってはいけません。子どもたちはその遊びの世界で、創造する力、発明する力、コミュニティーを作る力が培われます。 よって、その遊びの中での成長に目を向けてほしいと思います。

遊びはゲームでも構いません。探究学舎でも、ゲームの要素を取り入れた学びのプログラムを数多く取り入れています。

ただ、そこになんらかの目標があるとよりいいでしょう。今はeSportsで世界と戦うアスリートもいますし、ゲームプログラマーも世界に変革をもたらす職業です。長編アニメ映画『君の名は』や『天気の子』の監督である新海誠さんも、もとはゲームを作る仕事をしていました。

とはいえ、夏休みであれ、ふだんの生活であれ、自分で時間を決められるといいですね。ダラダラ続けてしまうと、他のことができなくなってしまい、生活にメリハリがつきません。

ふたつめ。

「勉強してほしい」と願うのであれば、大人が子ども以上に努力することが必要だということです。子どもたちは、自ら学び始める生きものです。学びが前のめりになると、誰も止められない勢いで熱中します。それこそ、世のお母さん、お父さんたちが喜ぶ、放っておいても勉強しているという姿が生まれます。そんな姿を、ぼくは教員時代にこの目でたくさん見てきました。

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大人が「子どもの心に火をつける」ことができるか

では、どうしたら、そのような世界が広がるのか。
それは、大人が子どもたちの「心に火をつける」ことができるかどうかにかかっています。 

ぼくが講師として子どもたちにかかわっている探究学舎では、「見立てる」という言葉をよく使います。それは、子どもたちが何に興味を抱き、どのようなニーズがあるかを的確に把握するということです。

この見立てができていれば、大人が子どもたちにかける言葉、与えるものや用意する機会も変わってくるはずです。

そこでは、子どもが何に興味を抱いているかは極めて重要です。興味を抱いていない状況だと、いくら「勉強しろ」と言ってやらせても、それはやっている格好をしているだけ。学びではなく、作業をこなしているにすぎません。もし、そんな状況に安心している大人がいるとすれば、ものすごく大きなものを失ったことにいつか気づかされるでしょう。

この「興味の種」は、そこらへんにコロコロと転がっているのですが、それらをすべての子どもたちが見つけられるわけではありません。見つけてもらうためには、大人の力が必要です。

自分の子ども、担任として受け持っている子どもたちを見立て、転がっている興味の種から、どれがその子の心に火をつけるか。そこを見極める力をぜひつけてください。
そのためには子どもと過ごす時間は大切です。一緒に遊びに行くこともいいことですし、親子の何気ない会話もその端緒になります。 そして、興味を抱く兆しが見えたら、そこで勝負です。