能力よりも興味を育てる授業で評判となり、『情熱大陸』でも取り上げられて話題の塾「探究学舎」(東京都三鷹市)。ここで4月から講師を務めている森田太郎さん(42)は元小学校教師。

大学時に紛争直後のボスニア・ヘルツェゴビナでサッカーによる民族融和を目指し少年サッカークラブを立ち上げ、サッカー日本代表のイビチャ・オシム元監督とも親交の深い異色の教育者です。「東京の公立小学校に型破りな先生がいる」と知る人ぞ知る存在でした。

実は自身が小学生の時は宿題を一切やらなかったという森田さん、教師になって「宿題をさせなければならない立場」になったときにとった手法は「子どもたちが自分から宿題をやる環境づくり」でした。その感動的な手法に多くの共感が集まった前回の記事に続き、今回はいま頭を悩ませている人も多いと思われる「夏休みの宿題」について書いていただきます。

連載第1回「小学6年間ドリル白紙の忘れ物1位が大学進学してカリスマ教師になるまで」はこちら
連載第2回「宿題をやらなかった教師の下で子どもたちが猛然と取り組んだ「感動的手法」はこちら

「やらされている」宿題は「作業」

前回は、子どもの取り組みが能動的か否か、が大切ですよね、ということを伝えました。自分から取り組んで、初めてそれは成長につながります。 それなのに、宿題も、塾、中学受験、そしてスポーツまでが「やらされている感満載」な子どもが少なくありません。

いろんなことを選ばせてもらえない。そのため、自分がそれを好きかどうか、やりたいかどうかを自問自答する経験をしないまま高校、大学に突入してしまいます。そうなってしまうと、社会に出た時に、「自分は何をしたいのか?」「自分は何ができるのか?」という問いの答えを得られないまま日々を過ごしてしまうことにもなりかねません。

おそらく、そこに正解はありません。

自分にしかかけない汗をかけばいいだけなのですが、「主体的な汗のかき方」を知らないというのが悩みどころです。 

このことから、ぼくは、子どもが宿題でもなんでも自由に選べるようにしたいと考えています。夏休みの宿題も基本的にナシ。自分がやりたいと思うことに取り組める、そんな貴重な長い時間があるわけですから、そこに強制は必要ありません。

子どもたちに「自分で考えられる力をつけてほしい」と願うのであれば、まずはその子どもを「信じる力」が親や教師などすべての大人たちには求められます。