戦没者遺骨「112万体が未収容」…日本の本気度が試されている

DNA鑑定の困難と遺骨の未来
栗原 俊雄 プロフィール

戦後80年以降も遺骨収容を続ける?

さて、これら検討会議のとりまとめ案を、各メディアが報じた。そこではあまり注目されなかったが、筆者が注目したのは、戦没者の遺骨収容について「具体的な情報が得られる限り、集中実施期間終了後も継続される」と明記したところだ。

すなわち厚労省は、推進法による集中期間が終わる24年度、つまり戦後80年以降も遺骨収容を続ける意思を明らかにしたのだ。

本当だろうか? そう思わざるを得なかった。というのは、政府はこれまでに繰り返し戦没者遺骨の収容を止めようとしたからだ。

1952年の独立回復後、遺骨収容を開始した。58年度までに計1万1358体を収容した。それにより「国交未回復の地域及び相手国の事情から入域が困難な地域を除く玉砕地等についてはおおむね予定通り実施された」。国による遺骨収容の「第一次計画」である。(『引揚げと援護三十年の歩み』厚生省編、1978年)。

第二次世界大戦で亡くなった日本人はおよそ310万人。うち240万人が海外(沖縄、硫黄島を含む)である。「第一次計画」は、その240分の1を収容したに過ぎないが、それでも政府は遺骨収容について終了させるつもりだった(拙著『遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史』)。

 

ところがこの「終了」方針に対して、戦争体験のある国会議員などから批判があった。また戦争体験者や遺族らが海外に渡航する機会が増え、手つかずになっている戦没者遺骨についての情報が同省にもたらされるようになった。この結果「終了」からおよそ10年たった1967年。政府は「第二次計画」を開始することになった。

「第二次計画」は1972年度まで行われ、計8万2679体が収容された。その後第三次計画(1973~75年度)で9万3628体が収容されている。

第一次~第三次と書くと、当初から中長期的な見通しを持って行われた事業のように思われるが、そうではない。政府はその都度、遺骨収容の幕引きを図ったのだ。

2016年に議員立法で成立した戦没者遺骨収集推進法(推進法)は、遺骨の収容を初めて「国の責務」と位置づけ、戦後80年にさしかかる2024年度までを集中的な実施期間とした。

筆者はこの立法過程を取材していた。戦後70年が過ぎようやく遺骨収容の根拠法ができたことを評価しつつ、「戦後80年以後は遺骨収容を止めるのではないか」とも思った。過去に国が何度も止めようとしたことを知っていいたからだ。