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戦没者遺骨「112万体が未収容」…日本の本気度が試されている

DNA鑑定の困難と遺骨の未来

戦没者遺骨をめぐる問題

1945年夏、大日本帝国は米英など連合国に降伏した。以来74年、現代社会で戦争の痕跡を見つけるのは容易ではない。しかし、戦争による膨大な負債は残る。今も100万体以上が海外で眠る戦没者遺骨は、その一つだ。

今年7月25日。厚生労働省の第4回「戦没者の遺骨収集の推進に関する検討会議」(以下、検討会議)が開かれた。そこでは今後の国による戦没者遺骨収容、さらには遺骨の身元特定のあり方について方向性が示された。いくつかの論点があったが、本稿では遺骨のDNA鑑定や、「戦後80年」以降の収容のあり方などについて報告したい。

当欄で3月26日に報告したように(「74年たっても終わらない……硫黄島戦没者遺族の哀しき戦い」)、私は今年2月18日の毎日新聞朝刊1面で以下のことを報じた。

①福岡県柳川出身の戦没者、近藤龍雄さんがいた部隊が硫黄島(東京都小笠原村)の大坂山地区に配置されていた②厚労省が同地区でおよそ200体の遺骨を収容しており、うち26体は焼かれておらず、DNA鑑定が可能③龍雄さんの息子や孫などが鑑定を希望している④厚労省がその希望を拒否。

 

2016年に議員立法で成立した戦没者遺骨収集推進法(推進法)は、遺骨の収容を初めて「国の責務」と位置づけ、遺骨の収容とそれを遺族に返すことを目指している。

近年は毎年1000体前後の遺骨が収容されるが、直ちに身元が分かるものはない。頼りはDNA鑑定だ。遺骨からDNAの形を採取し、遺族と思われる人たちのそれと突き合わせるものだ。

ところが、このDNA鑑定が進んでいない。厚労省が遺骨の身元特定につながるような記名の遺品(印鑑など)や埋葬記録などがあることを鑑定の条件にしてきたからだ。

激戦地でそうした遺品や記録が見つかることは、極めてまれだ。近藤龍雄さんの遺品も見つかっておらず、それゆえ遺族の鑑定希望は却下された。

DNA鑑定した結果、身元が分からなかったというならば、遺族のあきらめもつくかもしれない。しかし戦没地で遺骨が収容されているにもかかわらず、鑑定自体がなされなければ、遺族は納得できないまま、国への不信を増すばかりだろう。

遺品や埋葬記録が見つからない遺骨は、DNA鑑定されることなく厚生労働省の霊安室に保管され、さらには千鳥ケ淵の戦没者墓園に納められる。どこのだれかが分からず、事実上の無縁仏となる。

「基準が厳しすぎる」という批判を受け、厚労省は2016年度、沖縄の4地域に限り遺品がなくてもDNA鑑定を行うこととした。軍の部隊記録などによってある程度戦没者が推定できる場合は、遺品がなくても鑑定することにしたのだ。翌年には10地域に拡大した。

部隊記録が残っている、という点でみれば沖縄以外にも該当地域がある。沖縄以外、たとえば近藤龍雄さんが戦死した硫黄島で遺品なしのDNA鑑定を行わないとしたら、戦没者、遺族に対して差別することになる。