「虐殺の痕跡」を辿るルワンダのダークツーリズムと、中国人の足跡

安田峰俊・チャイナフリカを往く③
安田 峰俊 プロフィール

乳幼児の遺体

「……遺体がミイラ化しているのは、大量に虐殺された後に穴に投げ込まれて酸素が少ない環境にあったからだ、とガイドが言ってるね」

同行しているピーターは、虐殺記念館に来てから言葉数が少ない。彼自身、物心がつく前にルワンダ虐殺を経験している。ピーターはフツの父親とツチの母親を持ち、父は多数派のフツだったにもかかわらず虐殺に消極的な立場を示したことで殺されたと見られている(第1回記事参照)。

前日、ムハンガにあるピーターの実家に寄った際、私は彼の父方の祖母や他の親族たちにも会っている。ルワンダ虐殺が身近な歴史になってしまっただけに、この展示を見るのはなおつらい。

※途中、ムハンガで立ち寄ったピーターの実家。カトリックを信仰している家庭のようだ。

さらに痛々しいのは、女性や乳幼児の遺体がかなり多くあることだった。体感的には、体型や衣服が判別可能なミイラの7割くらいは占めていそうに思える。遺体は防腐処理のためか白く塗られているが、生前の表情がなんとなく読み取れるものもある。

一部の遺体の肌には生前の衣服や頭髪の一部がこびりついてすらいる。明らかに頭蓋骨が陥没している子どもの遺体は、おそらく鈍器で撲殺されたのだろう。手足が欠けている小柄な成人(おそらく女性だろう)の遺体や、首などが不自然に曲がっている赤ん坊の遺体もある。

「虐殺から25年経ったいまでも、この記念館の周囲からは1年間に数百体以上の新しい遺体が見つかるらしい」

雲は多いが晴れている日だった。高原地帯にある春のムランビの気温は20度前半で、空気もカラッとしており、本来なら丘の上で深呼吸をしたくなるような日だ。ただ、1000人の遺体をすべて見終わったときには、大量のミイラや遺骨の臭いが鼻孔の奥や服の生地まで染み込んでしまい吐き気が止まらない。鼻を手でこすってみても、手からも同じ屍臭がするのだ。

 

「観光地」で写真を撮る中国人出張者たち

「うわあ、見なよ。あれはひどくないか」

ガイドから離れて2人で草の上に座り込んでいると、ピーターが声をかけてきた。彼が指差す先には、白いワイシャツにサングラスを掛けた東洋系の男性5人組がいる。男のうちの1人が引率しているようだ。虐殺記念館のガイドが付いていないところを見ると、おそらく本館の展示をスルーして直接この丘にやってきたらしい。

彼らは退屈そうにぶらぶら歩いていたが、遺体の陳列棟の前に来るとはしゃいでスマホを構えてバシャバシャと写真を撮りはじめた。白塗りのミイラたちを背景に、数人で笑顔を見せて記念撮影をしたりもしている。

服装や雰囲気から見て、おそらく中国の国有企業かそれに近い組織の出張者たちと、彼らを接待する現地の駐在員か取引相手だ。フイエ近郊で見どころと呼べる場所はこの虐殺記念館と、道中にあるコーヒー・ファームくらいしかないので、「観光地」としてここにやってきたのだろう。

もちろん同じような行動をとる人は日本人を含めて他国にも大勢いるはずだが、海外出張ができるレベルの地位にある40〜50代の男性がああいうはしゃぎかたをするのは、一部の中国人に顕著な傾向だ。

※キガリ市内の中心部にある中国系スーパーT2000の品揃え。中国食品が揃う。

「どうする? 注意するか、ガイドに伝えるかしようか?」

「いや、やめておきなよピーター。彼らがガイドと言い争いになった場合、いまの自分の心理状態でそれを眺めていたいとは思えない」

「確かにそうだね。いまは僕も非常に疲れている」

キガリ市内で会った旅行会社のガテラとのやりとりを思い出した。経済発展が著しいルワンダには多くの中国人がやってくるのだが、新しくやってくる人ほど現地の問題に無自覚だという話だ。加えて中国人は国家の政治体制や教育の関係もあって、理数系や経済関連の分野はさておき、たとえエリート層でも民族問題や他国の過去についての感覚的なアンテナが非常ににぶい。

ルワンダではいろんな場所で中国の姿に出会い、彼らのアグレッシブさとカネの力に驚愕することが少なくない。

ただ、強さと弱さは表裏一体だ。彼らの最大の弱みは、強大なカネの力のほかに現地の人心をつかむ術(すべ)を持たないことかもしれない。

こうした特徴は、長期的に見れば中国のアフリカ大陸における成功をやがて扼(やく)していくことにはならないか――?

ルワンダで中国を追いかける旅のなかで、そんなことも考えてしまった。