「虐殺の痕跡」を辿るルワンダのダークツーリズムと、中国人の足跡

安田峰俊・チャイナフリカを往く③
安田 峰俊 プロフィール

屍臭ただよう記念館

さて、旅の目的地であるムランビ虐殺記念館は、フイエから車で1時間ほど走ったギコンゴロの山中にある。幹線から外れた場所なので、途中からは未舗装道路を走るハードな道程だ。

道中ではキガリやフイエの市内ではあまり見ない民族衣装姿の女性がいたり、村人たちが徒歩で延々と歩き続けていたりと、田舎ならではの風景が広がっていた(ただし、そんな場所でも例によって中国のゼネコンが道路工事中だった)。

虐殺記念館は小高い山の上に位置している。1994年4月なかば、かつて技術学校だったこの建物に、虐殺から避難した約6.5万人のツチたちが集結していた。当初、ツチ側は学校を囲むフツの民衆に投石などをおこない激しく抵抗したという。

だが同月21日、学校を守っていたフランス軍が去り、午前3時ごろからフツ政権の軍や民兵が銃や手榴弾を用いて大量殺戮を開始する。さらにフツの民衆らがマチェット(山刀)を振るってツチを殺し続け、午前11時までに約4.5万〜5万人の犠牲者を出して虐殺は終結した。

※ムランビ虐殺記念館の外景。多くの遺体がおさめられた丘はこの裏手にあるが、撮影は厳禁だ。

虐殺記念館の本館内はパネル展示が主であり、これ自体はあまり見るべきものはない。ただ、特徴は建物の奥に進むにつれて強まる独特の屍臭(ししゅう)だった。臭気の発生源はガラス張りの床がある奥の部屋だ。以前はガラスの下にミイラ化した犠牲者の遺体が展示されていたのだが、湿気が強いため別の場所に移されたという。

 

1000体の遺体を眺める

この施設においてもっとも見るべき場所は、本館の裏手に広がる公園のような丘だ。虐殺記念館のガイドが必ず引率する形態になっており、私たちはたまたま同時刻に見学していたドイツ人の女性2人連れのツーリストといっしょに巡ることになった。写真撮影は厳禁であり、スマホを横に構えただけでガイドから厳しく叱られる。

この丘にあるのは、ミイラ化した犠牲者の遺体がそのまま安置された合計9棟の陳列棟だ。ひとつの建物あたり6部屋があり、各部屋にはすべて遺体や遺骨が詰まっている。数えてみたところ、白木のベッドに遺体だけが並んで寝かされている部屋は1室につき25体ほど、頭蓋骨や大腿骨が並ぶ部屋は1室につき200体ほどがある。単純に考えても、さして大きくもない3棟の建物18部屋に1000体近い虐殺遺体がある計算だ。

※1994年のルワンダ虐殺の様子。こちらはキガリ市内の虐殺記念館内で許可を得て撮影したもの。

Wikipediaの英語版記事によると、往年のムランビ技術学校内部での犠牲者(約4.5〜5万人)は虐殺記念館の敷地内にある共同墓に埋葬されており、陳列棟のミイラたちはギコンゴロ地域の別の場所で殺害された人たちらしい。だが、とにかく1994年4月に犠牲になったツチたちの遺体であることには変わりない。

私はなかば義務感を感じてすべての部屋をのぞき込んだので、1時間足らずのうちに1000人の遺体を見たことになる。今後の自分の人生を通じて、大天災や戦争に遭遇しない限りは同じ体験をすることはないだろう。決してないことを祈りたい。