「虐殺の痕跡」を辿るルワンダのダークツーリズムと、中国人の足跡

安田峰俊・チャイナフリカを往く③
安田 峰俊 プロフィール

「中国式」と相性がいいルワンダ人

かつてのルワンダ虐殺で、フツの一般民衆が隣人のツチを大挙して殺害したのは、人々が地元の有力者の意向に従って行動したためだ。

近年の研究によれば、彼らは有名な「ルワンダのラジオ」(ツチ虐殺を呼びかけた過激派のラジオ放送)に影響されたわけでも、政府中枢からの直接の指令に従って動いたわけでもなく、地元の有力者の言うことをなんとなく聞いて世紀の悲劇を起こしたとみられている。同調圧力に弱い傾向はあるのかもしれない。

※キガリ市内の野菜市場。雑然とした場所であっても、治安の不安は小さい。

「ルワンダでストライキは非常に少ない。街でデモ活動なんかもほとんどない。そういうことは混乱を生むからやらないのが、ルワンダなんだ」

トップダウン型の中国式の管理との相性がいい国ではあるだろう。

もっとも、「中国式」には弱みもある。トップダウン型の中国企業は、カリスマ創業者がいなくなると一気に弱体化する例も少なくないからだ。加えて中国人ビジネスマンが、現地の文化や歴史的背景に対して極端に無関心であることも、弱みと言っていい。

「1994年の虐殺を知らない中国人が多い。こちらに来て虐殺の発生を知れば驚きはするが、彼らは基本的にビジネスにしか関心がないね。ルワンダでのアクティビティにしても、ゴリラ・ツアーは人気だが、各地にある虐殺記念館への関心はほとんどないようだ」

 

キガリ・ダークツーリズム

中国人は関心を持たない人が多いとはいえ、25年前の虐殺に関連した遺物はルワンダの各地に残っている。ルワンダは文書に残された過去の歴史が少なく、遺跡も多くない国だ。ダークツーリズム(人類の悲劇を生んだ土地をめぐる観光)の行き先として、虐殺の遺跡や記念館が欧米人旅行者を中心に一種の観光資源となっていることは否定できない(ただし多くの施設の入場は無料)。

たとえば首都のキガリ市内でもっとも有名なダークツーリズムの行き先は3か所だ。ひとつめは、虐殺当時にツチ難民の滞在を有料ながらも認めたことで、映画『ホテル・ルワンダ』のモデルになったオテル・デ・ミル・コリン。ただし映画は南アフリカで撮影されているため、ミル・コリンの外見はメインゲート部分を除いて作中の描写とは異なっており、実際の現地は過去の歴史を感じさせない普通のプール付きの高級ホテルでしかない。

※キガリでの犠牲者の生前の写真。キガリ虐殺記念館内で許可を得て撮影。

いっぽう、敷地内に25万人以上の遺体が埋葬されているキガリ虐殺記念館は、見て歩くのが心理的になかなかしんどい。記念館の内部に、犠牲者の頭蓋骨や虐殺当時の衣服などが多数展示されているためだ。特にやるせない気持ちになるのが犠牲者たちの生前の写真のリストで、ごく普通の市民が犠牲になっていたことが見て取れる。

弾痕が残るベルギー兵虐殺場所

もうひとつの25年前の爪痕が、国連平和維持部隊のベルギー兵10人が殺害された建物だ。市内中心部の小綺麗なコンベンションセンターの隣にあるのだが、当時の弾痕がそのままに残されている。キガリ市内ではもっとも視覚的に痛々しい内戦の遺物である。

この事件はルワンダ虐殺の開始直前の1994年4月6日夜、当時のルワンダ大統領であるハビャリマナ(フツ系)が暗殺された直後に発生。暗殺の真相はいまだに不明だが、大統領の死の直後にフツ政権内の対ツチ急進派がリベラル派の要人を次々と暗殺したことは確かであり、ベルギー兵たちもこうした流れのなかで殺されることになった。

※大量の弾痕が残る建物。当時、殺害されたベルギー兵たちは陰部を切り取られるなどした。

ベルギーはもともとルワンダの旧宗主国で、ツチの人々が植民地体制下で優遇されていたことがフツ急進派によるツチ虐殺の理由のひとつになった。ベルギー兵の殺害にも同様の事情は関係していただろう。そもそもツチとフツの明確な区分自体がベルギー植民地時代に作られ、IDカードに民族名を明記させたことで定着してしまったものなのだ。

こうした施設で出会う外国人は、大部分が欧米人旅行者だ。ルワンダ(のみならずアフリカ諸国)では、注意深く観察するとどこに行っても中国の姿を感じてしまうのだが、この手のダークツーリズム的な観光地で彼らの影は薄い。