モノクロ戦争写真の「カラー化」で蘇る、74年前の日常と戦前の記憶

若者が取り組む、記憶の解凍プロジェクト
渡邉 英徳・庭田 杏珠 プロフィール

戦争を「自分ごと」として考えるために

この活動は、その後も多くの中島地区の元住民の協力のもと、続けられている。写真についての隠れたエピソードを掘り起こし、情報としての価値を高めるとともに、世代を越えて記憶を継承する対話の場が生み出されている。

さらに私たちは、写真提供者と筆者らの対話を通して生まれた“フロー”を社会に拡げていくために、映像作品の制作と国内外での上映、カラー化写真展示会の開催、そして、写真をAR(拡張現実)表示するスマートフォンアプリのリリースを実施し、好評を得ている。

カラー化された戦時中の写真に触れることによって、ふつうの人々が営んでいた平和な暮らしが、戦争によって奪われたという事実を、現代に生きる私たちも自分ごととして想像しやすくなる。

より多くの人がこの“フロー”に参加することが、年々風化してゆく戦争体験を「共感」とともに社会に拡げ、戦争の記憶を未来へ継承するための一助になると、私たちは信じている。

参考文献: 渡邉英徳,庭田杏珠:「記憶の解凍」:カラー化写真をもとにした“フロー”の生成と記憶の継承;デジタルアーカイブ学会誌 第3巻 第3号,p. 317-323,2019年6月

戦前の「日常」を写した写真たち

産業奨励館と兄弟(写真提供・濵井徳三):1938年に撮影された、濵井徳三さんと兄の玉三さんの写真。背後には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)が写っている。濵井さんの生家は、被爆前は4400人が暮らしていた中島地区に所在し、理髪店「濵井理髪館」を営んでいた。原爆投下により、濵井さんのご家族は全員亡くなった。濵井さんは疎開していたため無事であり、アルバムが手元に残された。
濵井理髪館(写真提供・濵井徳三):1936年5月2日に撮影された、濵井理髪館の濵井徳三さんと母イトヨさんの写真。映画『この世界の片隅に』の冒頭の1シーンには、この写真を元にした「濵井理髪館」と家族が描かれている。原爆投下後、理髪館の焼け跡からは、父の商売道具だったハサミ十数本と、鏡の上に掛けてあった皿時計が見つかった。