就活で全滅した学生が「ラノベ作家」になるまでの迷走

高木敦史の迷走物語(1)
高木 敦史 プロフィール

当時、よく一緒にお酒を飲んでいた友人――大学時代の先輩ですが、彼が突然「俺、小説書こうと思ってるんだ」と言いました。

それと時同じくして、何気なく読んだ雑誌である作家のインタビューを目にします。彼は作家を目指した理由として「30歳になって何か始めようと思った」と述べていました。そしてその記事を読んだ日は、偶然にも私の30歳の誕生日でした。

 

早速私は公募誌を買って調べ始めます。すると大体月イチでどこかしらの出版社が何かしらの文芸賞を募集していることに気づきました。そこで、とりあえず一年間は腕試しをしてみようと思い、以来小説を書き始め、書き終わったらいちばん締切の近い賞に送る、という行為をしばらく繰り返していました。

長編・短編・掌編など4~5本ほど送り、秋口はあんまり公募がないけれど年明けすぐに締切のある賞が結構多いぞ、と、後半はいくつか平行して書き進めたりもしました。

が、結局その平行して進めていた原稿たちは途中で放り出されます。最初の投稿から半年と少しを過ぎた12月の半ばにスニーカー文庫から電話が来て、自分の応募作の受賞を知らされました。それは30歳になった日に描き始めた最初の小説で、僭越な言い方になりますが「掘り方を変えたら簡単に壁が崩れたぞ」という感覚がありました。

その応募作は改稿作業を経て、半年かそこらの後に『“菜々子さん”の戯曲』というタイトルで発売されます。

そこから九年間、なんだかんだ小説家という肩書きを持った人間として過ごしておりますが、改めて考えるとかなりいきあたりばったりでした。様々なきっかけが複合的に私をここまで運んできて、また、今もどこかへ運んでいる途中なのだと思います。

なお、漫然と生きていた時期に私に転機を与えてくれた二人は、その後どちらも自分の本を出版しています。最近めっきり会っていませんが、今の自分があるのは間違いなく二人のお陰です。

ちなみに「簡単に壁が崩れた」と思った私ですが、もちろん世の中そんなに甘いわけがなく、迷子の果ての作家デビューは次の迷子の入口に過ぎなかったのだと程なく知る羽目になります。

<つづく 次回は9月8日公開予定です>